新年おめでとうございます。
またいつもご覧いただき、ありがとうございます。
令和7年最初のテーマは【先生】です。
その先生の本業は「授業」です。
今回は授業の上手い先生に共通するポイントを考察しますね。
さてみなさんにとって「いい先生」とは?
と質問すると多くは、
「優しい先生」
「わかりやすい先生」
「おもしろい先生」
という回答なんですが、
実はこの定義がなかなか難しいんですね(^^;
ちなみに「優しい」の定義は「甘い」ではありません。
生徒をよく観察し、よく話を聞いてやる先生。
また時には相手を思って厳しさも厭わない、のが本当の優しさであり、
たとえ伝わらなくても、信念を持って相手に接することができるか?
…という、、、これはわかりますよね。
そして「わかりやすい」の定義は、
難しい内容も簡単な言葉や例えで伝え、
説明のペースや教材選定が適切なこと。
なんですが、
では「おもしろい」の定義は何だと思いますか?
少なくとも先生にお笑い芸人の要素を期待している高校生は、、、
さすがにいないと思います。
…が、そもそも「おもしろい」の定義は何か?
という点を明確にしないと、今日言いたいことはうまく伝わらないようにも思います。
「おもしろい」という語には、
・滑稽である(M-1がおもしろかった)
という意味以外に、
・興味をそそられて心惹かれる(部活がおもしろくなってきた)
といった意味もあり、
今日は後者の「おもしろい」授業について考察していきたいと思います。
最後まで読んでいただけるとうれしいです。
教師の勝負は何といっても「授業」
みなさんもご存じのように、先生の仕事は多岐に渡ります。
授業以外にも、分掌(担任や生徒指導…等、会議、出張、保護者対応、書類作成…など挙げればかなりの仕事量なんですが、
なんといっても、
一番の勝負は
「授業」
なんですね。
なぜなら、学校生活では授業に割く時間が最も長いし、
授業の履修や修得が、進級や卒業の条件になるからです。
加えて授業だけは「教員免許状」が必要で、
採用試験も”教科”で採用される「専門職」の扱いなんですね。
一方で部活顧問や分掌にはそのための免許や資格はなく、
教員であればどこでも担当できることを考えれば、
学校で一番大事なのは「授業」だといえるんですね。
教科書+αを教える先生は優秀

指導書
その授業は、文部科学省の検定を通った教科書を使い、
学習指導要領という指標に従って行われます。
ただ、それだけでいい授業をするのは難しいので、
あまり大きな声では言えないんですが、
各教科書には”指導書”という秘密の参考書が存在します。
ここだけの話、私自身も在職中は指導書のお世話になったこともあるし、
執筆をしたこともあります(^^;
ま、生徒が使う”教科書ガイド”の先生版だとお考えください。
指導書というのは、
各単元毎の指導ポイントや進行をまとめた本で、
特に若い先生が多く利用されます。
指導書には授業のポイントに加え、
時間配分や板書計画が載り、
付属のCDには、タブレット学習や小テスト/定期考査に使えるデータも入っています。
だから一冊数千円~数万円もする高価なもので、もちろん一般には販売していません。
いい授業とは
しかし指導書では「無難(難の無い)」授業はできても、
画一的になる、という短所もあるんですね。
生徒が本当におもしろいと感じる授業は、
「有難い(有り難い=滅多にない)」授業だといえます。
私が在職中に意識したのは、
× 教科書を教える
のではなく
〇 教科書で教える
ということ。
これは、教科書に書いてあることをただわかりやすく解説するだけの授業ではなく、
そこから深堀した+αを教えることを心掛けるようにしていたつもりです。
もちろん常にできていたわけではありません。
単元や教材、時間制限によって難しい時もあり、
自分の力不足を感じることもしばしばでした(-_-;)
そして生徒からの評価が高い授業に共通するのは、
教科書に書いていない(=有り難い)内容まで突っ込んでいく授業だったように思います。
教科書にある内容からどんどん発展し脱線し学問の深さ広さに触れると、
生徒は興味を持ちそのおもしろさに魅了されるんですね。
そんな先生の授業を受けられた生徒は幸せだと思います。
成績や受験のためだけにする勉強は、ただ苦痛ばかりですからね。
究極の授業『銀の匙』
今でこそ超進学校として有名な兵庫県にある「灘中学・高等学校」(以下灘校)。
ここに約50年間奉職した伝説の国語教師、橋本武さん(1912~2013)が行っていた授業は、
『銀の匙』という小説一冊を中学の3年間かけて読み解く、という内容でした。
橋本先生は教科書を一切使わず、『銀の匙』一冊と自作のプリントで3年間の授業を担当し、時には2週間で1ページしか進まないこともあったとか…。
その授業スタンスは、
学ぶことは遊ぶこと
横道にそれる
当たり前のことに疑問を持つ
意味がなくてもおもしろければいい
というもの。
小説をただ通読するだけではなく、
そこから派生する周辺知識や体験にどんどん脱線し、
五感のすべてで読解力と表現力を育むというスタイルでした。
その破天荒な授業をここで紹介すると長くなっちゃうので、詳しくはこちらをご覧ください。
そして橋本先生は「学び」について次のような考えをお持ちで、
自然に面白がる、自然に楽しめる、そうすれば自然と学ぶようになります
教師が教師の自分自身を磨いていけば、その姿は必ず子どもたちの胸に届く
必要以上に勉強したことが「ゆとり」につながる
これが本当の意味での「ゆとり教育」なのです
(中略)
本当のゆとり教育というのは「詰め込み」が重要になってくると思います
もちろん受験のための詰め込み教育は問題外です
ここでいう詰め込み教育というのは、
いわば「教養の詰め込み」ということ
きっちりと労力をかけて学んだことは、どこかで必ず役に立ちます
当たり前のことに疑問を持ってみよう
自ら進んで参加するのが「遊び」であり、「学び」もそうあるべき
すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる
国語力はすべての学問の基礎
…と。
私にもぐさぐさ刺さる言葉です。
もちろん今の学校で『銀の匙』のような授業はなかなかできないでしょう。
そんなことをすれば周りから何を言われるかわかんないからです(;’∀’)
しかし私が懇意にし、本ブログにも時々登場する書道のS先生は、そんなスタイルを実践されていましたね。
教科書を使うのは年に1~2回しかなく、ほとんどは自作のプリントを使った授業で、
書道のみならず、歴史・文学や美術・工芸/音楽の領域までを包括したような内容。
1学期間に2つしか作品を創らない時もあったり…(^^;
そして生徒に「考えさせる」機会や「発表の」機会を多く与えていらっしゃいました。
学習指導要領からも逸脱しない内容、とのことですが、何が違うかといえば、
単元の時間配分とのこと。
ドリル的な内容は最低限にして、芸術科ならではの創造性や表現力を育む単元に時間をかけていたそうです。
まさに、
書道を教える
のではなく、
書道で教える授業を実践されていて、
「受験や定期考査のない芸術科目は羨ましいな」
と何度も思ったものです。
横道に逸れまくる授業は、まさに探求・総合学習そのものであり、
学問って教科科目を横断し関連付く深い学びに結実する、
と実感できる授業でもありました。
いま高校での芸術や家庭科の授業は、
必履修の最低単位でしか設定されていないところがほとんどです。
授業時数が少なくなれば専任は不要となり、非常勤講師で済ませる学校も多くなります。
非常勤は授業しか持ちませんから、結果的に芸術や家庭系の部活指導も手薄になってしまいます。
我々の生活を豊かにし、潤いを与えるために学ぶ教科を犠牲にし、
受験対策に奔走する学校の在り方を、私自身は見直す時期に来ていると思っています。
なぜなら今は、少子高齢化の大学全入時代であり、もう終身雇用の時代ではないからです。
いい大学→有名企業の選択を否定するものではありませんが、
より自分らしい生き方を模索するためにも、
多様な選択が可能な学校が求められる時代だと思うんですね。
そんな意味でも、総合学科を併設する学校がもっと増えてもいいのでは?
と私は考えています。
最後に_自ら学ぼうとする生徒を育成するのが教育
勉強でも趣味でも「自分がおもしろい」と感じたことは、
人は自ら学びます。
さらに将来その道で生きていく可能性だってあるので、
人生って何がどうなるか?は誰にも予想できませんね。
高校生は大人への準備期間であり、
自分の可能性を探っている時代です。
その多感な時期に、これをもっと追求したいと思える”おもしろい”授業に出会えた生徒は幸せです。
私の同僚にも、そんな授業に出会ったから教師を目指した、という人はたくさんいらっしゃいました。
だからこれは今現場でがんばっている先生にも期待したいことです。
それは定められた範囲を期限までにただ消化するだけじゃなく、
生徒が「おもしろい」と感じ、自ら「学びたい」と欲する
「深い学び」や「学問の楽しさ」を仕掛け提供する先生でいてほしい、ということです。
教育という字は「教え育む」と書きますが、
高校生ってその気にさえなれば、放っておいても勝手に自己研鑽し成長していくものです。
そのきっかけを提供するのが教師であり、
学校で最も大切なのが”授業”だ、といわれる所以です。
高校生が、自分で自分を育むよう導くのが、授業の理想だといえるでしょう。
より良い授業のため、
忙しい毎日の中、先生方の自己研鑽にも熱心な一年になりますよう、
心よりお祈り申し上げます。
どうぞ本年も本ブログをよろしくお願い申し上げます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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