いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今日のテーマは【疑問】を持つことの大切さです。
社会には「素直」さが美徳とされる価値観もありますが、
本記事は「素直だけではいけないよ」という主旨です。
なぜ素直だけではいけないか?というと、
素直さに乗じて騙されることもあるからです。
「そんなことはわかってる」
と思うでしょうけど、理由はそれだけではありません。
素直さが仇になるもうひとつは、
人の成長に足かせとなる可能性
があることです。
これは、
素直が過ぎるとできる成長もできない
という意味で、
そのためには
「なぜ?」と【疑問】を持つことも大切なんですね。
今日は、
「なぜ疑問を持つことが大切か?」
を中心に記事を展開し、
それが勉強をする理由にもなることを解説します。
最後まで読んでいただけるとうれしいです。
なぜなぜ期
人の成長にはいくつかの段階がありますが、
なぜなぜ期というのは、
2~6歳ごろに見られる現象で、
身近なことに「なぜ?」と疑問を持ち、
質問を乱発する時期
のことで、
「空はなぜ青いの?」
「なぜ鳥は空を飛べるの?」
…など身近な疑問を大人にぶつけてくる時期です。
その少し前は、
イヤイヤ期といって
何でも「イヤイヤ」と大人に反抗する時期がありますが、
これは第一次反抗期とも呼ばれ、
自我が芽生え出した時に見られる反応です。
これに対し「なぜなぜ期」は、
子どもに知的好奇心が芽生えてきたことを意味する行動です。
この時期に親が不適切な対応をとると、
子どもの成長に悪影響を及ぼすともいわれます。
いくら面倒でも、丁寧に対応することで、
子どもの知的好奇心が満たされ、
学ぶ意欲が育まれるからです。
私も幼稚園の頃、父親に
「男の人と女の人が結婚すると、なぜ子どもが産まれるの?」
と質問したことがありました。
父は、
「お父さんとお母さんが愛しているからだよ」
と即答しましたが、
当時は”愛してる”の概念がわかりませんでした。
だから私にはとても不思議な回答だったので、
今でもよく覚えているのです。
こんな経験は誰にでもあるはずですし、
だからこそ様々な知識を吸収しながら成長できたんですよね。
素直さの弊害
その後、社会性を学ぶために幼稚園や小学校に進みますが、
社会では「素直さ」が美徳とされますね。
「目上の人の言うことはちゃんと聞きましょう」
てな具合です。
学校では先生や先輩の言うことを聞く生徒が良しとされ、
反抗的な生徒は問題児として扱われます。
しかし本当に素直だけでいいのか?
というと、必ずしもそうとは限りません。
例えばどうしても目指したいA大学も
「君の成績では無理だからB大学に変えた方がいい」
と先生に助言され、
「わかりました。ではA大学は諦めます」
なんて簡単に言うもんじゃない、と私は思います。
先生は生徒の将来を思って助言しているつもりでしょうが、
先生にあなたの進路を決定する権利はないはずです。
無理だと言われたら、
どうしても目指したい大学なので、抑えでB大学を併願するけど、あくまでも第1志望はA大学で行く!
というくらいの気持ちは持たないと、伸びるものも伸びないと思います。
先生が「無理だ」と言うのは、
「きっと先生は私に火をつけているんだ」
くらい都合よく解釈して受験勉強をがんばれる人でありたいものです。
思考停止するのがダメ
さらに「髪を染めるな」と言われても
「なぜダメなの?」
と一度は疑問に感じることが大事ですね。
「染めたら先生に叱られるから止めとこ」
だけではそこにあなたの思考はありません。
「なぜ?」
と思ったら、
まずは自分で考えてみましょう。
いくら考えてもわからなければ、
これを誰かに尋ねてみましょう。
一人で難しければ生徒会を通じてもいいし、何人かで先生に直談判してもいいと思います。
幼少時に経験した”なぜなぜ期”は高校生になっても忘れてはいけません。
なぜなら、それであなたの器が大きくなる(成長できる)からです。
そしてその結果、納得のいく回答を得られたら、このルールをしっかりと守れる人になりましょう。
逆に納得できなければ、さらに深く考える習慣を持ち、
それでも「違う」と思えるのなら、あなた自身は髪を染めてもいい。
ただし、
あなたが髪を染め、それを校則違反と指導されたら、
これを覆すだけの主張や根拠を示して先生に納得してもらわなければいけません。
それができないと、ただの独りよがりとしか思われませんからね!
この過程を専門には「反証」といいます。
具体的には、
例えば、特定の理論が正しいとされる場合に、その理論に対して異なる視点からの証拠や理由を示すことで、その理論の信憑性を揺るがすことができます。
「反証」とは?意味や例文や読み方や由来について解説!より引用
反証は、科学的な議論や論争において非常に重要な役割を果たします。
特定の主張が誤りであることを示すための手段でもあり、信頼できる情報やデータを基にすることが求められます。
このように、反証によって新たな知見が生まれることも多いですね。
うまく運べば校則改定にも繋がりますし、
「なぜ?」
という小さな疑問が、あなた自身を大きく成長させ、
最終的には社会のルールを変えることさえあるのです。
ルールや常識なんて、
その時代時代に応じ相応しいものに変わっていくのが普通ですからね。
最後に_知的好奇心を失わないために勉強する
「なぜ?」「どうして?」
という疑問は、それを知りたいという知的好奇心から起こる感情です。
毎日の授業や部活でみなさんは、
知らないこと
できないこと
がたくさんあることを自覚しているはず。
そして難解な問題を、楽々と解く友人を羨ましく思ったり、
部の先輩に憧れたりもしますが、
これをただ羨望の眼差しで見ているだけじゃなく、
「自分もそうなりたい」
と目標にすることが大切です。
「知りたい」や「できるようになりたい」
という欲求は、知的好奇心がないと起こりませんし、
「勉強」とはまさにこれを追究する作業なんですね。
つまり、
勉強しない人は、
わからないことが何かがわからないので、
「なぜ?」とか「知りたい」と思うことができません。
そんな人は結局、
他人の言うことをそのまま真に受けるばかりで、
自分で考えようとはしない。
だからウソも簡単に信じ、結果騙される。
仕事も難しいことはできず、言われたことしかできない。
そして他人から馬鹿にされる。
そんな人生にしないために勉強ってするもんだ
とも思いますね。
だからこそ、なぜなぜ期の親の対応がとても大事なんです。
あなたも知的好奇心を失わず、毎日の勉強に取り組んでくださいね!
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