高校生のみなさん、
入学・進級おめでとうございます。
新しい生活に不安や緊張だらけだと思いますが、
誰にとっても「可能性豊か」な毎日が待っているはず。
去年以上にいい1年になるといいですね。
さて、今回のテーマは【感謝の心】
義務教育を終えたみなさんは、
これまで以上に周囲との「関わり」や「影響」・「責任」を考えられる年齢になりましたが、
一方で完全に自立していないのも事実です。
高校で必要となる制服や教科書はまだ保護者の負担ですし、自動車免許やクレジットカードは取得できませんよね。
そんな大人と子どもが混在する高校生には
特に必要な考え方
があります。
それが周囲の【愛情や支えに感謝】することです。
親や友だち、先生などからの直接的な支えはもちろん、
間接的に享受する支えにまで思いを馳せることです。
制服を買ってくれたのは保護者でも、それを作ったり運んだりする人達もいるからこそ、
今あなたの手元にあり、あなたは不自由してないんですね。
みんなそれを仕事にして生きているんだから、そんなの当たり前
と思うかもしれませんが、
それはあくまで結果論に過ぎず、
それ以前にある「過程」を知ること
が、高校生には大切だと思うんですね。
これは、
高校生には必要不可欠とされる「メタ認知(俯瞰的認知)」能力を涵養し、
社会の一員としての存在を確認するとともに、
何より【感謝の心】が、あなた自身の人生を豊かにするからです。
新年度を機に、改めて「当たり前」なことへの「感謝」を実感し、
よりよい人生を創造するヒントとしていただけるとうれしいです。
「当たり前」は当たり前じゃない

身の回りの当たり前
まず私たちが知らなくてはいけないこと。
それは、
「当たり前」は当たり前じゃない!
です。
駅に行けば、電車が時刻表通りに来ること
蛇口を回せば、きれいな水が出てくること
ゴミを処理してくれる人や設備があるからこそ、衛生的に暮らせること
お店に行けば普通に食料や衣料が売っていること
毎日学校で授業を受けられること
…
書き出せばきりがない社会の「当たり前」も、
よく考えれば、たくさんの人が関わっていることに気付くはずです。
電車ひとつを動かすにも、
線路を敷き、電線を張り、駅を造り、電車を造る。
時刻表を作り、切符を売り、電車の運転をする人が必要です。
もっと言えば、電車は電気がないと動かないので、
発電所が要るし、橋やトンネルを造る専門家も必要ですね。
このように考えると、私たちが「当たり前」と受け取っていることには、本当に多くの「支え」があることに気付くはずです。
仕事は「誰かを幸せにするため」にするもの
しかしこれらは誰かが「仕事」としてやっていることです。
仕事をし、人々の生活を豊かにした対価として、給料をもらうわけです。
つまり世の中にあるたくさんの仕事は、直接的・間接的に、誰かの生活を支えて成り立っているもので、
このことから言えるのは、
仕事とは「誰かを幸せにするため」にするもの
だということ。
そして、
誰かを幸せにすることで、自分も幸せになれる
という循環で世の中は成り立っていることを知りましょう。
また、これを当然だと受け止めず、ここに感謝の気持ちを持つことで、
将来的にあなたが仕事に就いた時にも、
誰かを幸せするという意識を持ち、やりがいを持って従事できるんですね。
そして人々が互いに助け合える好循環の社会が生まれる、
と私は考えています。
無償の当たり前

利他心と自己有用感
しかし「支え」は、仕事としてするものばかりではなく、
無償のものもたくさんあることに気付いてください。
電車でお年寄りに席を譲る
落とし物を拾ってあげる
迷っている人に道を教えてあげる
自然災害の現場でボランティア活動をする
…などは、
まったく自分に関係ない他人にも、
その代償を求めずに行う「支え」ですが、
この「誰かの役に立ちたい」と思う気持ちを、
利他心
といい、
「誰かの役に立てた」と満足する気持ちを
自己有用感
といいます。
これは誰かから「ありがとう」と感謝されることで、
「自己の存在価値を感じる」
という承認欲求を満たす行為でもあります。
メサイアコンプレックス
しかしこの親切が行き過ぎると、
余計なお世話や有難迷惑
にもなってしまいます。
他人の親切に「感謝」するか「迷惑」と感じるかは、
受け取り側の自由ですからね。
これは自身の承認欲求を満たすための過剰な親切であり、
他人には迷惑な行為ですが、
このように親切を押し売りして、
結果感謝を強要する心理を、
メサイアコンプレックス
といいます。
何事も行き過ぎてはいけないのですね。
利他心の究極は「愛」
ですから、究極の「支え」とは、
無償で見返りを求めないもの
であり、これを「愛」というんですね。
恋は下心 (下に心を書くから)
愛は真心 (真ん中に心を書くから)
ともいう有名な言葉もありますね。
兄弟や真友を大切にする(友愛)
先生が情熱を持って教え、生徒ががんばる(師弟愛)
親が子を慈しむ(慈愛)
夫婦寄り添って生きる(夫婦愛)
大切にしたい異性がいる(恋愛)
…といった見返りを求めない究極の支え
→これが「愛」なんですね。
最後に_愛は愛されてこそ身に付くもの
ここまで書いてきたように、
有償無償にかかわらず、
人はお互いに支えあいながら社会を形成している
ということであり、
この支えをたくさん享受するみなさんは、
これを当たり前だと思わず、
感謝の気持ちを持ってほしい
というのが本記事の主旨です。
ではなぜ「感謝」が必要か?
というと、
すべてのみなさんがいずれ、
支えられる側→支える側
愛される側→愛する側
になっていくからです。
そして、
支えられるのは簡単でも、支えることは簡単ではありません。
愛されるのは自然でも、愛することは自然にはできないことです。
それなりの時間やお金、気持ちや体力がないとできないことです。
さらに、支えられ愛された経験がないと、
人を愛することはできないからなんですね。
そして、
あなたに愛情を注ぐ人は”見返り”を求めてやっているわけではありませんが、
これを当たり前だと思わず、
「ありがとう」の一言が言える人になりましょう。
「当たり前」の反対語は「ありがとう」です。
「ありがとう」の一言が、人間関係を円滑にし、
いずれあなたが支え愛する側に立った時、
慈しみの気持ちを以てできる。
そんな愛情豊かな人間になるため、
今ある支えに感謝の気持ちを忘れず、充実の毎日を過ごしてくださいね。
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