いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今日は私の経験も交えながら、
【執着】や【思い込み】を捨てると
生きるのがすごく楽になる
という内容を書きます。
これは意外にどうでもいいことにも囚われているのが私たち人間であり、
そんな無意味な「執着」に縛られながら毎日を送っているのが現状だ、ということ。
当然ですが、捨ててはいけない「こだわり」もあるので、
その区別をちゃんとつけられるようになりましょう。
というのが本論の主旨になります。
一例を挙げると、
「今のA高校を卒業しなければならない」
という執着は、長い目で見れば実は大したことじゃなく、
B高校でもC高校でも高卒には変わりがないし、その先にどこに進学して卒業したか?
という最終学歴の方が大事だし、
それ以上にどんな仕事や生き様をするか?の方がはるかに重要です。
これは大人になればわかることです。
しかし高校在学中はそんな簡単に考えを変えられないものです。
だからそんな固定概念に執着して息苦しくなり、自己否定に走ってしまう。
そんな「執着」とどう向き合うか?
本稿がそんな課題に向き合うヒントとなればうれしいです。
私たちを縛る「執着」
「執着」とは辞書によると、
一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと (出典:goo辞書)
とあります。
誰かを好きになったら、寝ても覚めてもその人のことを考えてしまう。
誰にも捕られたくないと思い込む。
これは執着の一例です。
このように他人では全く気にかけないことに、
自分一人が一杯一杯になっている。
そんなことが我々にはよくあります。
もちろんこの「執着」があるからこそ、
何かをがんばろう!という気にもなるのですが、
一方でこれが足かせになることもよくあります。
これは当の本人と周囲とでは温度差が見られることもあり、
例えば次のような執着は高校生によくみられる反応です。
そしてこれを見守る周囲は、悩む本人に共感するとともに、
冷静に別の見方もしています。
執着 | 冷静な見方をすれば |
---|---|
ダイエット(もっと痩せなくちゃ!) | 今がちょうどいいのに、それ以上痩せるの? |
彼女(彼氏)と別れた(もう終わりだ!) | もっといい出会いは必ずやってくる いずれ忘れられるから大丈夫 |
テストの順位が下がった(勉強したのに!) | テストには運もつきもの がんばってれば上がるよ |
1軍(カースト上位)がいい | 誰にだってその人独自の良さがあるから大丈夫 |
もっとかわいく(かっこよく)生まれたかった | 容姿以上に人間性が大事 そんなこと言ったら親が悲しむ |
SNSのフォロワーやいいねが少ない | 100のいいねより無二の親友 |
彼女(彼氏)が欲しい(ぼっちは寂しい) | いたらいたで面倒なこともある |
国公立に行く方がいい | どこに行くか?より、何をするか?が大事 |
もっとお金が欲しい | お金は必ずしも人を幸せにはしない |
…など挙げればキリがありません(;´∀`)
人はこんな執着に縛られ、一人孤独に苦しむのが常なんですね。
またあなた自身を苦しめる執着は、
考えひとつでずいぶんと違った捉え方になることも、
上を見ればおわかりなるでしょう。
私自身も例外ではなく、これまで多くの執着に苦しんできましたが、
中には捉え方を変えることで気持ちが楽になり、前に進めたこともありました。
考え方を変えると未来は好転する
教員のほとんどは、それなりの進学校から大学に進んだ人がほとんどです。
だから進学校の事情はわかっても、教育困難校や特別支援の経験はないんですね。
私も初任校は進学校だったので、特に違和感なく過ごせたんですが、
次に異動で赴任した教育困難校は、
年間に生徒1クラス分が消え、
問題行動件数が100件を軽く超える別世界でした。
授業には向き合わないし、身だしなみや問題行動の指導に明け暮れる毎日。
「この子たちに高校教育は必要なのか?」
と思うこともしばしばで、私は飲んでストレスを吐き出す毎日だったんですね。
しかし少しずつ見方が変わると、捉え方も変わっていきました。
生徒たちはみんな劣等感の塊で、
「自分はバカだ」
と思い込んでいるんですね。
さらに家庭環境にも恵まれない生徒も多いことがわかってくると、
「こういう生徒にこそ高校の指導が必要」
だと思えるようになりました。
中学と違って授業は九九やABCから始めるので、もう一度学び直しができます。
これまで20点だったテストが80点になると、
これをきっかけにがんばる生徒も出てきます。
「やればできる」
を実体験した高校生のパワーは凄い!
生徒なりに何かを掴んで前に進んだ時、
その学校の存在意義や自分の役割が見えてきて、
自分の価値観が変わりました。
さらに、
どうすれば生徒達が理解できるか?
どう教えればこの概念が伝えられるか?
勉強の意義や楽しさを伝えるにはどうすればいいか?
…など私自身進学校ではあまり考えなかった課題に向き合ったことで、
以後の教員生活に大きな示唆を与えてくれたように思います。
詳しくは以下過去記事もご覧ください。
柔軟に考える姿勢を
ですから、今日みなさんに言いたいのは、
「そのこだわりは”執着”ではないのか?」
と自問自答する思考を習慣化しましょう。
決して思考停止してはいけません。
例えば、
いつまでも別れた恋人に執着し、
もしかすると復縁できるのではないか?
という思いこみがあなたを苦しめているのかもしれません。
「これは独善的な執着だ」
と自認しこれを手放す努力をすれば、
いずれあなたはぐんと楽になり、
そこから前を向けるようになります。
もちろんこれが簡単にできないから人は苦しむのですが、
全ては時間が解決してくれるものです。
長い目で自分の人生、より良いものにできればいい。
私たちはそんな余裕も持ち合わせたいものです。
捨ててはいけない「こだわり」もある
しかしながら、私たちには捨ててはいけないこだわりもあります。
そのこだわりとは、
その人の生き様に係るものです。
ここでみなさんに質問です。
「私は○○をするために生まれてきた」
または
「私は○○でできている」
この○○に、あなたならどんな言葉を入れますか?
例えば「音楽」という言葉が入るなら、
あなたは音楽を生きがいに生きている人であり、
音楽があなたのアイデンティティになっていますね。
これが大谷翔平選手なら「野球」だし、
藤井聡太さんなら「将棋」となるはずです。
ちなみにアイデンティティ(identity)とは、
「他人との関わりの中で得る”自分は誰なのか?”という問いに対する答え・自分は自分である!という感覚と”今日の自分と明日の自分は同じ人”という自覚」
のこと。
もし音楽があなたの生き様だとすれば、
音楽に関するこだわりは簡単に捨ててはいけません。
周りにどう思われようが、自分がこだわっていることに妥協は禁物なのです。
もし○○に入る言葉が見つからなければ、
そんなこだわりを持った人から学ぶ機会を作りましょう。
誰もが大谷選手や藤井棋士にはなれませんが、
近所の何かにこだわっているお店なんかに行ったり、
できればバイトでもすれば、
今のあなたにはない”こだわりの姿勢”を知るいい機会になるかもしれませんね。
あるいは本を読んだり、映画を見たり、
講演会等に足を運んだりして、
誰かの生き様や価値観に触れるのもいいきっかけになることでしょう。
アイデンティティは自分一人で確立できるものではなく、
そんな人の生き方や評価などから身についていくものです。
みなさんが今を生きる青年期は、
「自分探し」や「自己分析」をしながらあなた自身のアイデンティティを確立する時期。
毎日の生活から自分に対する考え方が少しずつ変化していくことをお祈りいたします。
まとめ_若いうちに視野と柔軟性を広げる勉強をしよう
人は長い一生で、何度かの「節目」を迎えます。
みなさんにもこれから高校卒業後の進路や就職、結婚…など多くの節目が待っています。
そして多くの節目を経験しながら、
あなた自身の視野が広がり、
今はまだわからない社会のしくみや多様な価値観を理解できる大人になっていくのです。
だからこそこれを補うためには学校以外にも、本を読んだり、人と話したり、ネットでググったり、バイトしたり…という「勉強」は絶対に欠かせないんですね。
私は還暦近い年齢になりますが、そんな視野の広さはあるつもりですし、若い頃に得た経験がその大部分を形成していることにも今気付きます。
…ですが悲しいかな、歳を追うごとに柔軟性や吸収力は弱くなってきたようにも感じます。
体力の衰えとともに少しずつ固い頭になる現実を、肌で感じる毎日です。
頭が固くなればなるほど、捨てられない執着も増えていくだろうし、今後はこれに縛られますます息苦しくなっていくかもしれません。
しかし今思えばどうでもよい執着や思い込みを捨ててこれを節目としてきたことで、自分には有難い人生を歩んでこられたという自負もあります。
仏教でいう生老病死をはじめとする四苦八苦から私たちは逃れることはできませんが、
少しでも前向きな人生を送るために大切なのは、
ものの捉え方や考え方
であり、
これは
無駄な執着や思い込みを捨てる勇気や柔軟性
だと伝えたくて本稿を執筆しました。
みなさんの気持ちが少しでも軽くなり前を向いて日々過ごせますように!
心よりお祈りしております。
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