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今日は【修学旅行】をテーマにします。
修学旅行は、高校3年間最大の行事です。
「修学(学を修める)」といいますが、高校2年生で実施する学校が多く、
5~6月、10~12月あたりに実施されることが多いですね。
修学旅行のはじまりは、
明治19年(1886)2月に東京高等師範学校が行った房州(千葉県南部)方面への長途遠足だといわれています。
引用元:修学旅行の歴史 世界に類を見ない学校行事より
当時は、銃と背嚢(リュックサック)を持って行軍しながら、目的地で動植物の観察や採取を行うという内容で、現代の修学旅行とはかなり違ったものでした。
そのはじまりは小生の母校(前身)だった、とは昔聞いたことがあります。
しかしその様子までは知りませんでした(;’∀’)
その後修学旅行は、観光旅行化していきますが、
これは今ほど恵まれなかった時代に、
「旅行」体験を学校がサポートしていたため、とのこと。
現代でこそ、旅行は特別なことではありませんが、修学旅行は今も行われています。
在職中は、その準備負担の重さから「廃止すればいいのに」という声を教員からよく聞きましたが、コロナも落ち着いた今後も、この行事は続いていくでしょう。
とにかく学年全員で宿泊旅行なんて、この機会以外にできませんからね。
多くの生徒にとっては超楽しみな行事なのです。
しかし普段とは大きく違う環境で、気持ちも高揚する修学旅行は、トラブルも多く、先生はその処理に振り回されることもしばしばです(-_-;)
今日は、私が経験した修学旅行のトラブルをご紹介します。
もちろん記事は人権に配慮した内容としますので、一部脚色や説明不足もありますが、ご了承ください。
なお本記事で使用する写真は、実際私が引率し撮影したものを使います。
昔を思い出しながら書きたいと思います。
最後まで読んでいただけるとうれしいです。
スーツケースの鍵を忘れて、、、
まずはかわいらしいトラブルから(笑)
ここ10年ほどは、事前にスーツケースなんかを送り、当日は身軽な格好で出発するパターンが増えました。
特に飛行機を利用する場合は、手荷物を預けるのに時間や手間がかかることから、時間短縮にもなるんですね。
荷物は航空便で送りますが、中には航空輸送が禁止されているものもあります。
モバイルバッテリーや制汗剤などのスプレー缶はダメなんですが、これが入ってると、コンテナ自体を船便で送らなくてはいけないのです。
だから念には念を入れ、出発の1週間前には送ってしまうんです。
しかしこの「1週間前」が不幸の原因、、、
旅行初日の宿に送られたスーツケースを開けようと思ったら、
あれれ?? 鍵忘れた、、、!
…となる生徒が、1~2人はいるんですね~
場所にもよりますが、近くに「鍵屋」があれば、出張してもらって開けてもらいます。
その費用、約5,000円也~(;’∀’)
田舎で鍵屋さんがない場合は、スーツケースの鍵を破壊して無理矢理開けます。
でも再度鍵をかけることはできなくなります。
仕方ないとはいえ、これを壊す時の罪悪感ハンパねぇです(;´∀`)
荷物を先送りした時は、スーツケースの鍵を忘れずに!
全員が船酔い
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↑何事もなかったように生徒が自撮りに興じるこの時の旅行は、初日が大荒れでした(;’∀’)
ここは沖縄のとある離島なんですが、
本島からはフェリーで3時間ほどの場所。
那覇からは航空便もありますが、学年全員は乗れないので、船と飛行機半々に分かれて島に渡ることになったんですね。
大荒れの海
私は往路=船、復路=飛行機ルートでしたが、行きの海上は大荒れで、船が出るギリギリの波…とのこと。
酔い止めを飲んでいざ乗船。
出港後しばらくは静かでしたが、
外海に出た直後から、船は木の葉のように前後左右に大揺れとなりました!
すると直後からトイレに駆け込む生徒続出!(;’∀’)
さながら野戦病院のようになってしまった船上は戦場と化し、
私は酔ってる間もなく、酔い止めとゲ□袋持って大揺れの船内を走り回りました(;’∀’)
同行の看護師さんまで酔ってぶっ倒れちゃって、、、( ノД`)
「ここは病院船か?」
と思うほどの惨状なんですね(;’∀’)
しばらくすると出すものが無くなり真っ青な顔でぐったりする生徒多数。
すると、
「先生まだ~?」
「何時に着くの~?」
と質問の嵐!
「おっかしーな~?もう着いてる時間なんじゃないの?」
と思いながら、
「も、もうすぐ着くよ、、、多分」
としか言えないまま
どんぶらこ~どんぶらこ~
時間が過ぎていきます。
出港して4時間後、やっと島が見えてきました!
「島が見えたよー!」
「もうすぐ着くよー!」
って、まるでロビンソンクルーソーやん(笑)
船は荒波を避けるため、かなり迂回して島に向かったので、4時間もかかった、とのこと。
旅行初日からエラい目に遭いました(;’∀’)
島では逆ルートのクラスに、往きの惨状を喋りまくりましたが、
帰りの船はとても穏やかだった、とのこと。
この日は島に着いてすぐ、別の急病人も出て島内の病院に救急搬送(;’∀’)
夜遅くまで病院の待合で過ごすことにもなった疲労困憊の一日でした。
船では熟睡した者勝ち!
40万円のガラスを割る
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事故発生!
次は私が最初に担任として引率した30年以上昔の事件です。
だから携帯もスマホもナビもない時代の話。
それは最終日の夜。
ここはとある離島のホテル。
2棟を全面ガラス張りの廊下で結ぶ宿でしたが、
当時は生徒が就寝した後、先生には翌日の打ち合わせ時に多少のお酒も出る時代だったんですね。
(今は出ませんよ)
その夜はなぜか飲む気分じゃなく、
「今日はお茶で、、、」
と言いながら打ち合わせをしていたら、階下から
ガチャ――ン!!
とガラスの割れる音が!
「あ、誰かガラス割った」
と思い、カーテンを開けると、
ガラス張りの廊下の角から落ちて這い上がる人影が見えます。
しかし暗いので誰かはわかりません。
お酒を飲んでない自分は、
「僕飲んでないので見てきます」
と現場に向かいました。
廊下には割れたガラスが散乱し、
ガラスには大きな穴が開いています。
「ここ突き破って落ちたな」
とわかりましたが、近くには誰もいない。
近くを探していたら、男子トイレから水の流れる音が…
恐る恐る覗くと、
中ではクラスの男子が、血まみれの足を洗っていたんですね(;’∀’)
「どーしたの!?」
「いや、、、ちょっと、、、」
と言葉を濁す生徒。
真夜中に救急車で病院へ
そのうち騒ぎを聞きつけたホテルの人も現場に来て、
「とりあえず救急車呼びますね」
「はい、お願いします」
数分後に救急車が到着し、彼が乗せられた時、
「担任の先生ですね? 救急車は病院に着いたらすぐに帰ってしまうので、ホテルの車を貸しますから、先生は救急車の後をついて病院に行き、治療後は彼を連れて帰ってきてください」と。
「わかりました。僕は飲んでないので車をお借りします」
そして日付も変わった深夜、一面真っ暗な中を
ピーポー ピーポーだけを頼りに、
とにかくついて行くのに必死でした。
病院には10分? ほどで着きました。
彼はすぐに救急外来の診察室に運ばれます。
私は前の待合所で待ちましたが、
中から、
「痛いよー!痛いよー!」
って声が聞こえ、深夜の病院内に響き渡るんですね…
それを聞く私はもう恥ずかしくて情けなくて(-_-;)
2時半ごろに治療が終わり、彼を乗せて帰ろうとしたその時、
「あれ?どうやってここに来たのかな?」
…となったんですね(;’∀’)
往きは、暗黒の道を救急車の後にひたすら離されないよう、ついて行くのに必死だったので、帰り道がわからない(;’∀’)
まだスマホもナビもない時代。
ホテルの電話番号すらわからない…
えーい、こうなったらとにかく感覚だけで走るしかない!
え~っと、病院には確か右折で入ったから、まずは左折かな?
なんて感じで出発。
彼にはいろいろ事情を聞きたかったんですが、
なんせ離島の深夜、未知の道。
一面真っ暗の中、帰り道がわからないので、それどころじゃない(-_-;)
う~~ん、この辺で左折したかも?
確かこの点滅信号は通ったわ、、、
…と、適当に走ってたら、、、
なんと!
奇跡的にホテルに戻れたんですね!(^^)!
「オレって天才?」
と思いましたが、とにかく彼を寝かせて、本部に報告しなくては!
深夜にすすり泣く声
辿り着いたホテルの階段を昇りかけると、
今度は上の階から女性のすすり泣く声が聞こえるんですね(;’∀’)
「何だよ~も~~」
と思いながら2階に上がると、またまたクラスの女子生徒数人が廊下に正座しながら泣いているんですね(-_-;)
「何してんの…?」
と聞いたら、
「先生!○○君は大丈夫ですか?」
って聞いてくる。
「え!? なんで知ってんの??」
「私たち最後の夜だから先生の点呼終わったら、私たちの部屋でみんなで一晩語り明かそう、
って約束したんです(´;ω;`)ウッ…ウッ…」
いつまで待っても男子が来ず、救急車も来たので、何かあったのでは?と騒いでたら、先生に見つかって廊下に正座させられてたんだって(;´∀`)
その時に「○○は大けがをして病院に運ばれた」
と聞いてみんなで泣いてた、ってわけです。
「○○はもう大丈夫だから、君たちももう寝なさい」
と寝かしつけ、長い長い夜は終わりました。
メガネをかけずに…
翌朝、○○君に詳しい事情を聞き、事故の全容がわかりました。
点呼終了後、先生の気配がないと確認した男子数人は、
「よし行くぞ!」
と部屋を出ようとします。
その時彼はちょっとモタついていたので、
「おい○○早くしろ!」
と急かされ、いつもかけてるメガネをかけずに部屋を出たんですね(;’∀’)
途中ガラス張りの連絡通路が中ほどで直角に折れてるんですが、
よく見えてない彼はそのままガラスに直進し、これを突き破って血まみれになったんですね。
どうも彼は、ガラスに映る自分の姿を勘違いし、
「前から誰かが走ってくるー!」
と叫んだ瞬間に、
ガラスの壁を突き破ったんだとか、、、
もう呆れて怒る気にもなりません(-_-;)
この時のガラス代は40万円でしたが、
ホテルが損害保険に加入していたため、支払いは免責分を除き保険で支払われました。
とにかく、
部屋を出る時、メガネは忘れずに!
あの時一滴も飲まなかった私には、それが虫の知らせだったんですね。
―――それから15年後――――
その後すっかり大人になった彼と街中で偶然出会いました。
「先生、お久しぶりです」
と挨拶する彼に、
「おー! ところでケガは治った?」
って聞いたら、
「先生、それは言わないでください(笑)」
「今日はメガネちゃんとかけてるね」
「は、、、はい、、、それも言わないでください(笑)」
「元気でね」
「はい!先生こそ」
やる気ゼロ!最悪の民泊
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修学旅行で「民泊」が流行り出したのは、もう10年以上前のこと。
民泊とは、旅行先で数人のグループで民家に泊まり、家業の手伝いや観光に連れて行ってもらうこと。
もちろん受入家庭は、ちゃんと研修も受けて子どもたちを預かります。
もちろん家ごとに内容は違います。
農業や漁業の体験、お菓子作りや夕食作りなどを手伝いながら、その地方の食文化なども学びます。
多くの家が、高校生を手厚くもてなしてくれ、最後は涙涙(ToT)/~~~のお別れになるんですね。
生徒にとっては先生の目の届かない気楽さや、家ごとに唯一無二の体験ができること。
また先生にとっても、生徒を預けておけるので楽チンなんですね。
もちろん地域の経済も潤いますから、まさに「三方よし」のシステムです。
しかし時には「ハズレ」のお家もあるんですね、、、
そんな受入家庭では、家人が仕事に行っちゃって、渡されたのはテレビゲーム。
「これで遊んでて」
って言われ、留守番させられた、ってのもありましたね。
夕食は近所のファミレスに連れていかれ、
「好きなもん食べな」って(-_-;)
そんなの地元でもできるぞーー!
こんなときは観光協会に連絡し、途中でも受入家庭を変更してもらいます。
そのお宅に修学旅行生が来ることは二度とないでしょう。
このような”当たりハズレ”があるのが、民泊のデメリットでもあります。
民泊は運次第
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TDRで大失恋
もう15年ほど前になります。
この時は関東近郊のペンションとTDR(東京ディズニーリゾート)をセットにした修学旅行でした。
旅行中の一日は、TDRで思いっきり羽を伸ばす日だったんですね。
個人的には「無理だ」と思いましたが、
クラス内でグループを作り、グループ単位で園内をまわること、
というルールでしたが、
学年内のカップルはそんなルールに従うわけがありません。
ま、これは「ぼっち」を作らないための配慮でしたから、
ほとんどの生徒には面倒なルールに映ったはずです。
その中で、学年では誰もが知るカップルがいたんですね。
クラスも違うから、当然グループも別なんだけど、もう暗黙の了解で当日は二人でまわることになってました。
私も園内巡回中にすれ違いましたが、知らん顔してたんですね。
生徒にはミールクーポンを渡し、夕食も園内で済ませ、20時にはホテルに戻る、
という計画でした。
しかししかし、カップルだった女子生徒の方が15時ごろ一人泣きながらホテルに戻ってきたんですね、、、
聞けば「彼氏にフラれた」って(;’∀’)
「え!? さっき仲良さそうに回ってたじゃん」
「ここで別れるって決めてた、って言われた」んだって、、、
とにかく部屋に入りたいって言うもんだから、
部屋に入れましたが、たぶん食事もとらず泣き続けたのかな?
彼女にとっては最悪の修学旅行になっちゃったんですね。
しかしまぁ、別れ話なら帰ってからでもできるやろ?
ディズニーでする話か!?
楽しい旅行ぶち壊しやん(;’∀’)
別れ話なら旅行後に
一方、別の旅行中に3人の男子から告られた、と話すモテ女がいたことも付記しておきます。
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旅行中に食中毒
これも残念な修学旅行の典型です。
私の学年ではありませんでしたが、旅行中に数人が食中毒になり、病院に搬送されたことがありました。
ただ、
旅行初日から腹痛を訴えたこと
特定のクラスの生徒に集中したこと
旅行直前に授業で調理実習をしたこと
調理実習した特定の班に集中したこと
から、
原因はその時の調理実習だったのでは?
という可能性が出てきたんですね。
詳しく事情を聞くと、
鶏肉を切った包丁でそのまま生野菜を切った、とのこと。
おそらく包丁に付いたカンピロバクターが食中毒を引き起こしたのでしょう。
せっかくの旅行が台無しとなり、
後日授業を担当した家庭科の先生は、責任を感じてボロボロ泣いておられました。
鶏肉を切ったら、まな板や包丁をしっかり洗いましょう
旅行中に歯が折れる
![](https://daijusan.com/wp-content/uploads/2023/11/2017-12-07_09-44-59_188-1-300x225.jpeg)
最後は私自身が経験した、
最低かつ最高な修学旅行のお話。
正面衝突
これも20年以上昔のことですが、
当時教員生活初の修学旅行責任者を任され、
その準備に連日遅くまで仕事をしていた旅行2週間前。
学校帰りに大事故に遭っちゃったんですね。
車線をはみ出してきた対向車と正面衝突して、ハンドルに下顎をぶつけた私は、
救急車で病院に運ばれました。
(当時はシートベルト着用が任意だったので、ノーシートベルトだった)
私は前歯を2本折る重傷を負い、
車は廃車に、
私は歯医者に。
歯医者で
「もうすぐ修学旅行だ」
と言うと、
「じゃあ折れた歯をとりあえず強力なボンドで付けてみましょう」
と、ダメ元で根元から折れてしまった歯を付けてもらいました。
再び折れる
その2週間後、修学旅行で訪れた沖縄のホテル。
一日目が終わり、ようやく部屋に入り、
「あ~~やれやれ、、、」
とベッドに腰かけ、
何気なく前歯を触った
その時、
ボキッ!!
と音がして歯が折れちゃったんですね(;’∀’)
「あ!」
って思ったら、
その瞬間から血がダラダラ~って出てきます(;’∀’)
「やばっ!」
って思い、養護教諭の先生の部屋に電話しましたが、
「そんなのわからないから医者に行ってー」
と返されるばかり。
「沖縄の歯医者なんて知らんし」
とホテルのフロントで相談したら、
「近くにありますけど、もうこの時間ではやってないですよ」
との返事。
「明日は何時からですか?」
と聞くと、
「朝は9時からですね」
「え!? 9時ってホテル出発した後やん」
どーしよー? どーしよー?
散々悩んだあげく、
残り3日をこの歯で過ごせない、と思った私は、歯医者に行くことを決断。
翌朝の室長会議で、
「○組の室長さ~ん、朝食後担任まで集まってください」
と、恥を忍んでクラスの生徒には白状したんですね。
(生徒は私が事故ったことを知ってるから)
「え~ 先生は、、、昨日の晩再び、、、歯が折れました」
って言った瞬間、生徒はドッカーン!大爆笑ヾ(≧▽≦)ノ
「9時からの歯医者に行くので、今日の首里城には行けません」
「どーぞー! いってらっしゃ―――い」
って。
8時半、ホテル前で自分のクラスのバスを見送る担任。
「先生バイバ―――イ!」
「お大事にね~~!」
なんか変な光景??
と思いながら歯医者へ直行。
沖縄の歯医者で
「う~~ん、これは神経取らなきゃ痛くて残り3日間持たないよ」
と言われ、泣く泣く麻酔をし、神経を抜いてもらいました。
治療が終わり、お金を払った私に、
「これ要ります?」
と診察券を渡されました。
二度と使わない診察券ですが、
「沖縄の土産にもらっときます」
と言ってありがたくもらって帰ってきましたね。
キャンプファイヤーで
最終日の夜はホテル前の砂浜でキャンプファイヤーを行いました。
ま、私 責任者で実施する最初の修学旅行。
最終日こそはいい思い出を作りたい、と生徒には内緒で、
花火師
を呼んでたんですね(笑)
生徒には見えない所に隠れて、じ――っと待ってもらってたんです。
キャンプファイヤーは生徒の出し物で大いに盛り上がりましたが、
さてもう終了、という締めに、旅行委員長が音頭をとり参加者全員で、
「1・2・3・ダ――ッ!!」
って終わる、
という台本でした。
そして、
「ダ――ッ!!」
の瞬間に花火を打ち上げてもらう、というサプライズを計画してたんですね。
「ダ――ッ!!」
の直後から60発の花火が上がり、
生徒が驚いたその時、、、
その花火は、、、
彼らのテンションにも火をつけてしまいました(;´∀`)
これで終わるはずだったのに、
花火でテンションMAXになった生徒全員、狂ったように歌い踊り始めました。
大狂乱と化した砂浜は誰も止められない状態となり、私は唖然としてしまいましたが、
そのうち、
「あの花火って先生が考えたの?」
って聞かれ、
「そうだよ。ビックリしたでしょ(笑)」
と答えたら、
「おーい!みんなで先生を胴上げするぞー!」
と、ステージに引きずり出され、
その場でワッショイ ワッショイ胴上げされちゃいました。
胴上げの途中、誰かが
「先生、歯折れてるんだよー」
と聞こえたその瞬間、
みんな急に「あっ、、、」って我に返り力を抜いちゃって、、、
ステージ上に落ちちゃいました(;´∀`)
私は教師生活で2度胴上げされたんですが、
これがそのうちの1回です(^^;
大きな事故に遭い、旅行先で歯が折れるアクシデントもありましたが、
忘れられない修学旅行となりました。
修学旅行での打ち上げ花火はやめよう
私はその後半年間歯医者に通ったことを付記しておきます。
ではでは今日はこの辺で、、、また次回、、、
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