【批判覚悟】「褒めて伸ばす」だけではダメ!_ストレス耐性を併せ持つ人に

人間関係
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いつもご覧いただき、ありがとうございます。

今日の記事は批判覚悟で、
今の教育風潮に逆行した内容を書きたいと思います。

それは何か?というと、

「褒めて伸ばす」

という”聞こえのいい”指導法。

私個人的には、これあんまり好きではありません。

何故かというと、
「褒めてばかりでは人は伸びない」
と思っているからです。

もちろん褒めることを否定するのではなく、
「褒めてばっかり」
という姿勢が、人をダメにする、と思っているのです。

現代社会には、無数の「ハラスメント」があって、
ちょっとした言動が、○○ハラと非難される時代。
もちろんハラスメントの撲滅が、個々の人権を尊重することを否定しませんが、
受け手が「イヤだ」と思ったことをすべてハラスメントと非難していいなら、
私たちは日頃の生活に何のストレスも感じなくなる、、、はず。

しかし本当にそれでいいのでしょうか?

もちろんそうなると学校だって例外ではなく、
社会や保護者のクレームを恐れ、
当たり障りない対応に終始するようになります。
俗に言う無難な道を選び、
敢えて厳しい言い方や指導を避けるようになります。
適当に褒めてりゃ、クレームは来ないですからね。

極端な言い方をすれば、
「卒業したら関係ないし、別にいいや」
と”心の底”で思っている先生も相当数いらっしゃるのではないでしょうか?

しかしそんな指導が是か非か?
と考えたら、
私の考えは”非”なんですね。

長い人生、不条理だと思うことや、納得できないこと、正解のないこと…
等がたくさんあるし、
時には厳しい言い方が必要だったり、
時には他人を傷つけたり、傷つけられたりすることもあるはず。

現実は、そんな正論だけでは片付けられないことも「飲み込んで生きる」力が求められる。
それが人間の社会だと思います。

そんな時代に生きる私たちは、
イヤなことがあるたびに、
「人権侵害だ」
「ハラスメントだ」
と声を上げるだけではなく、
時にはじっと耐え忍ぶ姿勢も持ち合わせなくてはならないと思います。
また厳しさや割り切れないものも、可能な範囲で受け入れる懐の広さも求められます。

そんな「ストレス耐性」を身に付けるために、
高校生ができることを今日はご一緒に考えていきましょう。

最後まで読んでいただけるとうれしいです。
また、コメント欄や問い合わせフォームから、みなさんのご意見がいただけると、もっとうれしいです。

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何でもかんでもハラスメント&クレームの現代

褒めちぎる教習所

車の免許を取るのに通う「自動車教習所」
みなさんも卒業後に通う人もいるはずです。

私も大学時代に通いましたが、
とても「怖かった」印象がありますね。

ま、運転は時に人命を奪うこともあるので、
「当然なのかな」と思ってたんですけど、

今は逆に「褒めちぎる」教習所があるそうです。

車のエンジンがかかっただけで、
「スゴ───い!」
と全力で褒められる、、、(^^;

誰も褒められて悪い気はしませんが、
ここまでべた褒めだと、
なんだかわざとらしくて、
「心の底から褒めてないでしょ!?」
と疑心暗鬼になる教習生もいるんじゃないかな?
って思いますね(^^;

もちろん改善が必要なことには、いい点を挙げた上で改善点を優しく言ってくれるそうです。
だから、褒めちぎる教習所の評判は、概ね良いそうです。

少子化の現代に、
教習生の確保とネットの書き込みを意識してなのでしょうか?
それとも今の時代、これがスタンダードなのかな??

しかし私はこの「褒めて伸ばす」風潮に少なからず危惧を感じます。
誰でも褒められればうれしいし、やる気も出る…のはわかるけど、
みんながみんな褒めてばかりだと、
褒められることに慣れてしまい、その効果は半減してしまうと思うんですね。
いくら好物でも、いつもいつもそればかりではイヤになっちゃうのと同じだと思うので、
褒めるならピンポイントで必要な時だけにしてほしいですね(^^;

みなさんならどんな教習所がいいですか?

ハラスメントってこんなに多い!?

その一方で、
セクハラ、パワハラ、モラハラ…

近年特によく耳にするハラスメントの数々。
「これ一体いくつあるんだろ?」
と思った私は、ネットで調べてみたんですね。

種類内容
パワーハラスメント(パワハラ)上司から部下など優位性を利用した精神・肉体的攻撃
モラルハラスメント(モラハラ)大人のいじめ。特定の人に対して悪口や無視をする行為
セクシャルハラスメント
(セクハラ)
性的な発言での嫌がらせ
スメルハラスメント(スメハラ)体臭や口臭など臭いで他人を不快にさせる行為
時短ハラスメント(ジタハラ)労働時間の短縮による嫌がらせ
マタニティハラスメント(マタハラ)妊婦・出産経験者に対する嫌がらせ
テープハラスメント(テプハラ)何かにつけてテープを回していないか確認をする行為
アカデミックハラスメント(アカハラ)大学教授が生徒にする嫌がらせ行為
カスタマーハラスメント(カスハラ)消費者が悪質なクレームをする行為(別名:クレーマーハラスメント)
エイジハラスメント(エイハラ)中高年の社員などに年齢での悪口を言う行為
セカンドハラスメント(セカハラ)ハラスメントの報告により、さらなる嫌がらせを受ける
リストラハラスメント(リスハラ)配置転換などでリストラに追い込む行為
テクスチュアルハラスメント(テクハラ)文章に対しての性的な嫌がらせ
テクノロジーハラスメント(テクハラ)パソコンなどに詳しい人が詳しくない人にする嫌がらせ
エアーハラスメント(エアハラ)空気を読まない発言で場の雰囲気を悪くする行為
エアコンハラスメント(エアハラ)エアコンの温度・使用に関するハラスメント
ブラッドタイプハラスメント(ブラハラ)血液型で相手の性格を決めるなどの嫌がらせ
アルコールハラスメント(アルハラ)無理にお酒を飲ませようとする行為
スモークハラスメント(スモハラ)タバコの煙による嫌がらせ
カラオケハラスメント(カラハラ)カラオケでムリヤリ歌わせようとする行為
ソーシャルハラスメント(ソーハラ)SNSサービスを利用した嫌がらせ
ヌードルハラスメント(ヌーハラ)麺類やスープ類で「ズズッ」という音を出す行為
グルメハラスメント(グルハラ)料理へのこだわりを強要したりする行為
終われハラスメント(オワハラ)内定と引き換えに就活を終わらせようとする行為
マリッジハラスメント(マリハラ)「まだ結婚しないの?」と聞いたりする行為
パタニティハラスメント(パタハラ)マタハラの男性版
ゼクシャルハラスメント(ゼクハラ)女性が男性に結婚を迫る行為
ラブハラスメント(ラブハラ)恋愛に関する話で人を不快にさせる行為
ジェンダーハラスメント(ジェンハラ)男らしさ・女らしさを強要する行為
ソジハラスメント(ソジハラ)性的マイノリティの人に対しての嫌がらせ
レイシャルハラスメント(レイハラ)国籍や人種に関する嫌がらせ
キャンパスハラスメント(キャンハラ)大学のキャンパス内で起きるハラスメントの総称
スクールセクシャルハラスメント(スクハラ)教師が生徒に性的な嫌がらせをする行為
ドクターハラスメント(ドクハラ)医者が患者にする嫌がらせ・脅し
シルバーハラスメント(シルハラ)介護が必要な老人などに対する嫌がらせ
ケアハラスメント(ケアハラ)家族の介護をする社員などへの嫌がらせ(別名:介護ハラスメント)
コミュニケーションハラスメント(コミュハラ)コミュニケーション障害の人にコミュニケーションを強要する行為
パーソナルハラスメント(パーハラ)パーソナル(個人的)な部分を馬鹿にする行為
エレクトロニックハラスメント(エレハラ)電磁波や低周波音などを利用した嫌がらせ
レリジャスハラスメント宗教関係者からの嫌がらせ
家事ハラスメント(カジハラ)家事に対するダメ出し・過小評価
フォトハラスメント(フォトハラ)勝手に写真を撮ったりアップロードする行為
ペットハラスメント首輪をつけずに犬を散歩させたりする行為
お菓子ハラスメント(オカハラ)お菓子を配らない、食べるのを強要するなど
告白ハラスメント(告ハラ)告白することで相手を不快にさせること
エンジョイハラスメント(エンハラ)楽しむことを強要すること
スイーツハラスメントダイエット中の女性にスイーツを差し入れすること
育児ハラスメント(イクハラ)育児中に受ける不当な扱いや嫌がらせ
子なしハラスメント子どもがいない夫婦に対して相手が不快に思う言葉をかける行為
シングルハラスメント未婚の人に対して結婚に関する心ない言葉をかける行為
ハラスメントハラスメント(ハラハラ)何かにつけて「ハラスメント」と言いがかりをつける行為
引用元:【ハラスメントの種類】全部で50以上!一覧表で一気にチェック

挙げればこんなにあって、私もその多くが初耳のものばかり(^^;

確かに”された”当事者にはイヤなことですが、
程度によっては、心の中で「バーカ!」
とだけ思って、その後は特に気にしない。

または、イヤなことはその場で「イヤだ」と主張すべきであり、
そんな精神力を涵養する方が大切だな…とも思うんですよね。

もちろんこれがたび重なったり、度を越して精神を病むようなら、
その限りではありません。

クレームは言ったもん勝ち?

そして今は「クレーム全盛」の時代ですね(^^;

かつてクレームは、より良い商品づくりのための「貴重なご意見」でしたが、
今は立場の弱い者にマウントを取るための手段にもなっていますね。

「私が正義だ」
という主張が増えた、って意味です。

だからどんな理由があれ、クレームに反論なんてすれば、火に油を注いでしまい、ブチ切れてネットに何書かれるかわかんないから、
言われた方は、ただただ平身低頭、というパターンが多いのではないでしょうか。

何かと因縁をつければ、話を有利に進められることが多いので、
クレームは「言ったもん勝ち」みたいになっているのが現状ですね(-_-;)

ハラスメントの多さは、
=個人の尊厳が守られる、とともに、ストレス負荷の減少(=我慢しなくていい)、
という状態を作り出します。

また、
クレームの多さは、
=個人の尊厳を守る社会ゆえ、個人の主張が尊重される=ストレス負荷の減少(=我慢しなくていい)、
という状態を作り出します。

これはハラスメントとクレームは紙一重の場合もあることを意味しているんじゃないか?
と、私自身は考えていて、今のハラスメントとクレーム全盛の時代に危機感を感じているのです。

なぜ危機感か?
というと、ハラスメントにもクレームにも、相手がいるからです。

完全なもらい事故のように、相手が一方的に悪い場合はこの限りではありませんが、
相手の立場や言い分を完全に無視し、自分の正義だけを主張する姿勢は如何なものか?
とも思うんですね。

例えば、
「授業中に騒いでいる生徒を強く叱ったら、パワハラだとクレームが入った」
なんてケースは、教師だけが一方的に悪いわけじゃないんですよね。
(しかし現実は批判(誹謗中傷)を恐れて強く反論できない)

個人的には、もう少し「寛容」であってもよいのでは?
寛容でないこの時代だからこそ溜め込むストレスの方が、実は遥かに大きくて、
個人の尊厳を守るためのハラスメントやクレームの多さは、
逆に個人のストレスを増大させる、という皮肉な結果を招いているように思えてならないのです。

人間社会には不条理がいっぱい

このような「不条理」は、少なくなったとはいえ、これが完全に無くなることはないでしょう。

「A高校では許されている髪型」が、
「B高校では校則違反」
なんてことは普通にあるし、

授業中に寝てる生徒を注意し、
「寝てるのは自分だけじゃない!」
と逆ギレされても、
だからといって「許される」わけではありません。

こんな時に、
「差別だ」
「不条理だ」
と騒いだって、何もよくならないのが現状です。

警察が全てのスピード違反を検挙できないのと同じで、
「スピード違反は自分だけじゃない」
と正論を主張しても、それが言い訳になったら、社会では通用しない、
という現実を理解する必要があります。

みなさんが生まれ育った家庭だって、その環境は様々です。
「親ガチャ」の当たりハズレに文句を言っても実際何も変わらないのが現実ですが、
しかしその環境で「何をどう考えるか?」は全員に与えられた課題だとも思うんですね。

平等を勘違いするな!

そんな意味では「平等」を都合のいいように主張する人も多いなと思います。

福沢諭吉は、
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
という格言を残しましたが、

では生徒は先生に「タメ口」で話していいか?
というと、そうではありません。

「平等」と「上下関係」を正しく理解してないと、こうなります。

よく先輩には敬語を使っても、親や先生にタメ口で話す高校生は多いんですが、
「ん? 先生や親の方がずっと先輩だろ?」
って思ってしまうんですね(;’∀’)

もちろん先生が生徒を罵倒したり見下したりすることも絶対に許されません。
先生が生徒に
「ウザっ!」
なんて言ったら、大問題になりますが、
逆はたまに聞きます。

生徒が先生に敬語を使ったり、
先生が生徒に「ウザい」などと言ってはいけないのは、
お互いに「守るべき」一線がある、という意味で平等であり、上下関係を否定するものではない、
ということを理解してください。

褒めて伸ばすだけではダメ

こんな平等と不条理が入り混じった社会において、
高校生なら「褒めて伸ばす」だけではいけない
というのが先にも書いた個人的な思いです。

あえて負荷をかけ、これを乗り越える経験や、
自分には納得できない考えも、多様な価値観の一つだ、
と、そのギャップを理解する視野の広さが求められる年齢だからです。

さらに、

自分の思い通りにならないことがこの社会には山ほどある

という現実を知り、
そんな社会で、自分はどう生きるか?が問われている
と自覚するのが高校生に必要な考え方です。

継続力や忍耐力など、自分に厳しく接することが求められるとともに、
自分は何を主張し、何をしてはいけないか?

高校生に求められる「自主自律」とはそういうことです。

大人の在り方

そして今は(私も含めて)大人がかなり骨抜きになってしまいました。

クレームを恐れ、当たり障りない指導に走る先生たち

強い指導がパワハラと非難されるこれからは、
そう指摘されない当たり障りない指導に終始し、その指導が入らない生徒には
「家庭や本人の問題」と責任転嫁する先生が増えてくるだろうと思っています。

「卒業させりゃ、その後は関係ないし…」
という思いや、
校則の禁止事項(ピアスとか)を見ても「見て見ぬふり」の先生も増えてくるでしょうね。

私は体罰こそ否定しますが、
「ダメなものはダメ」
生徒からどんなに嫌われても、厳しい一面を失わない姿勢も持つべきで、
本当の愛情とはそういうもんだと思います。

多くの生徒からは嫌われても、それを支持する生徒もいるのが現状です。

少子化の時代に子を大切にし過ぎて自己満足の親

さらに保護者にも、子を大事にし過ぎてる感が否めません。

「子には苦労させたくない」
という親心はわかりますが、
苦労をかけないことにこだわり”過保護”が過ぎると、逆効果になることも併せ知るべきです。

風邪をひいたら薬を飲みますが、飲みすぎると毒になるのと同じで、
元々備え持つ「自然治癒力」も活かしながら完治する方が、遥かに健康的です。

何かあるたび「学校にクレーム」を入れるのは、愛情と甘えを混同し勘違いしているように私には思えてなりません。
結果的に子を甘やかすことが、親の愛情だと勘違いし自己満足してはいけないのです。

ストレス耐性を身に付けるために

以上から、今我々に不足するのは、

ストレス耐性

ではないでしょうか。

自分の思い通りにならないことストレス

だとしたら、私たちはこれをどう解消するか?
というのは安心して生きる上で大切なことです。

ストレスの発散法は人それぞれなんですが、
私自身は、スマホが普及したここ十数年で大きく変化したように感じています。

私も含め、スマホは「いい暇つぶしとストレス発散」の道具であり、その証拠にスマホを忘れたり失くしたりしたら、そのストレスは半端ありません(;’∀’)
別に無くても死ぬわけじゃないのに、大きなストレスを感じるのは、社会から切り離された不安感や孤立感を感じるからです。

しかしスマホ以前には、今の私たちがスマホで満たされてるストレスを、どう解消していたか?
というと、

時にグレて反抗し、
時に勉強や部活で承認欲求を満たし、
時につるんで孤立感を癒す

など、これを自己決定によりやってきたんですが、
自己決定だけでは上手くいかないこともたくさんあって、
結果的にそれを乗り越えるための免疫や自然治癒力「ストレス耐性」が自然に身についたのだと思います。

しかし現代はストレス解消を、
スマホ一つが代わりにやってくれて、
大抵の結論に辿り着けるので、
人の耐性はかなり弱くなりました。

少子化の時代に不登校が増え続けたり、
ハラスメントやクレームの増加、
褒めちぎる教習所
…などは、そんな時代の象徴です。

しかしそれでも私は敢えて、

「ストレス耐性を鍛えよ」

と、声を大にして言いたいですね。

それは、
いくらスマホが進化しても、
スマホやお金だけでは手に入れられないものがたくさんあるからです。

家はお金で買えても、家族は手に入れられません。
スマホはお金で買えても、時間や経験は手に入れることができません。
教科書や参考書はお金で買えても、学力や自信は身につけられません。
SNSでいいねはもらえても、本当の愛情や信頼を手に入れることはできません。
スマホでストレス解消はできても、ストレス耐性は身につけられません。

ではどうすれば「ストレス耐性」を鍛えられるか?
というと、

1日の中で時間を決めて「スマホに頼らない時間」を持つことです

高校生は基本的に「授業中」や「部活動中」はスマホを触れません。
また誰かと会話する際に、一人スマホを触るのは失礼です。

しかしこれ↑は常識です。
帰宅後や休みに自分の意志でこれができるか?
が問題です。

帰宅後の食事や家庭学習、入浴や睡眠時間にはスマホを触らないことを自分に課す必要があると思いますし、休日も計画的に過ごせるか否か?

こんな「メリハリ」の利いた毎日を過ごすことで、我慢を覚え、時間を有効に使えるようになります。
スマホに頼らない時間は「自分で考え」「自分で決断」する時間にすることで、お金やスマホでは手に入らない大切なものを得ることができるでしょう。

そしてストレス耐性とは、そんな”習慣”から身につくのです。

最終的に頼れるのは”自分”ですから、

他人の評価に左右されるばかりではなく、しっかりとした自分軸を持つことが肝要であり、そのために何を考え、どう行動すべきか?

ということを自覚し、ストレス耐性を育んでほしいな、と願っております。

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