いつもご覧いただき、ありがとうございます。
もう高校の合格発表は終わりましたが、
入試は「合格」と「不合格」が明確に分かれるシビアなイベントで、
この結果は、今後の人生を大きく左右します。
過去記事にも書きましたが、
私も40数年前、公立高校の受検に失敗し、すべり止めだった私立に進学した過去があります。
合格発表では、周囲の歓喜の中、ひとり目の前が真っ暗になり、しばらくは現実を受け入れられず、心の中で「ウソだ」「ウソだ」と繰り返していました(;’∀’)
家に帰ると、電気も点いてない薄暗い部屋で泣いている母を見て、
「悪いことしたな・・・」
と思ったものです。
詳しくは本文で書きますが、今思えばホント「バカ」な中学生だったんですね(^^;
しかし人生の大きなイベント「入試」の失敗は、私のその後の人生に大きな示唆を与えました。
入試は「合格」を勝ち取るために臨みますが、
残念ながら「不合格」となった場合でも、
大きな「学び」を得られるものなんですよ。
そして結果的に「不合格でよかった」と思える日が来るんですね。
今は、
「そんなはずない」
と思うでしょうが、
この経験が、人生で大切な「何か」を教えてくれる貴重な機会になること、
を今日はお話しましょう。
入試に失敗した人にはぜひとも読んでほしい内容です。
最後まで読んでいただけるとうれしいです。
関連記事も併せてご覧ください。
なお本ブログはしばらく春休みをいただきます。
次回の更新は、4月9日を予定しております。
私の高校入試失敗談
ゲーセンに通い詰めだった中3
今ではブログで偉そうなことを言ってる私も、
過去に公立高校入試に失敗した一人です。
中3だった私は、受験勉強そっちのけで、
当時大流行だった「インベーダーゲーム」に嵌り、
放課後はゲーセンに入り浸る不良少年でした。
部活も中途半端でしたし、
宿題や提出物もよく忘れて指導を受ける生徒だったんですね。
しかし部活引退後から塾に通い、
ちょっとは入試も意識したんですが、
塾内でも先生に、
「何かおごって~」
と言うような生徒で、あまり真剣に勉強はしませんでした(;´∀`)
「塾で勉強してるから」って理由にして、ゲーセンに通っていたんですね。
それでも5教科は8割ほど取れてたので、劣等感はありませんでした。
12月の三者懇で
中3の12月は、志望校を決める大事な三者懇。
担任の先生からはこう言われました。
貫雪君は”内申点”が低いから、
第1志望の○○高校は危ないと思います。
内申割合の低い△△高校か、××高校の受検をお勧めします。
※高校入試は「学力検査を受ける」という意味で「受検」の字を使います。
ま、提出物などあまり出さない生徒だったから、内申点は低かったので、
こうアドバイスされるのも(今思えば)無理はありません。
しかし△△高校は家から遠いし、××高校は女子の多い学校だったので、あまり気乗りはしませんでした。
ちょうどその頃受けた塾の模試で、第1志望だった○○高校の判定が「A判定」と出たこともあり、
これを担任に見せて、
「A判定が出たので、やっぱり○○高を受検します」
と自信満々で宣言し、第1志望を貫くことにしました。
この判定には”内申点”が入ってない、ということを、
すっかり忘れていたんですね、、、
合格発表前に届いたコンポ
入試は1.5倍を超える倍率でしたが、
自分的には絶好調でした。
自己採点でも9割近くは取れていたので、
自信満々で母親に、
「絶対受かるよ!」
と宣言までしちゃったんですね(;’∀’)
親とは
「第1志望に受かったらステレオコンポを買ってあげる」
と約束されてたんですが、
自信満々の私を見て浮かれた母は、
早々にこれを頼んじゃったわけです(;’∀’)
コンポは発表の前日、家に届きました。
「好きな音楽に包まれた充実の高校生活」
を夢見てたその翌朝、
私は地獄に突き落とされたんですね(-_-;)
仕方なくすべり止めの私立へ
不合格を確認したその足で、
そのまま中学に報告に行きました。
職員室のあちこちで泣いている同級生がいたけど、
私自身は涙すら出ませんでした。
先生からは、
「(私学の高校名)でがんばりなさい」
とだけ言われ、その後校内の公衆電話から親に
「不合格だった。午後から私学の入学手続きに行くから一度家に帰る」
とだけ言って帰宅したんですね。(携帯のない時代でしたから…)
家に帰ると、電気も点いてない部屋で、母はひとり泣いていました。
「悪いことしたな、、、」
と思いましたが、時間がないので、すぐに持ち物を用意し、
行きたくもないスベリ止め私学に向かいます。
学校に着くと、塾の仲間がたくさんいるんですね(;’∀’)
「あれ!? みんな落ちたの??」
見事に塾のメンバー全員がそこにいる(笑)
…で、
「塾が悪いんだ」
ってことにして、少しは救われた気分で高校生活がスタートしたんですね。
今思えば、授業中先生に「おごって~」とか言ってる塾では、落ちて当たり前なんですけどね(^^;
それと塾長は、かなりのショックを受けたんだろうな、、、
と、今になればその気持ちを慮ることもできます。
その町塾は、その後移転してかなり大きな塾になりました。
担任をした生徒にも、その塾の出身者が何人かいましたね。
「僕も通ってた」
とはさすがに言えず、
「いい塾だった」
と言う生徒の言葉から、
「あれで変わったのかな?」
と密かに思っていました。
入学当初は「腐ってた」
行きたくもなかった私学への進学を余儀なくされた私は、
最初の1年は心底「腐って」ました。
入試は3教科で、入学者にだけ理社のテストをしてクラス編成をするシステムでしたが、
やる気ゼロの私は、名前だけ書いて提出。
当然特進クラスには入れません。
それどころか、最初の1年でクラスの蛍光灯を2本割りました(-_-;)
放課後の教室で野球したら、蛍光灯に2度も直撃させちゃったんですね💦
掃除当番で教室のゴミを隣のクラスのゴミ箱にぶち込んで帰ったら、翌朝担任にフルボッコされたこともありますね。体罰が普通の時代でもありましたから(;’∀’)
高2で「がんばろう」と決めた
私の若き頃はまだ男女で給与に差があった時代。
女性の社会進出には厳しい見方をする人も多かったのです。
そんな時代背景の中、
高2の1学期、同じ部の女子から、こんな相談を受けたんですね。
最近毎日両親のケンカが絶えない。
理由は「私の進路」
私は大学に行って教師になりたい(教師の給与は男女差がないから)と思っているんだけど、
父が「女子は高卒で就職しろ」と、進学には猛反対で、
私の考えを理解してくれる母と意見がぶつかっている。
どうすればいいかわからない。
それを聞いても、私には何もできないんですが、
とにかく時々彼女の話を聞いたり、自分の悩みも相談しながら、
「がんばろうね」
と励まし合っていました。
しかしある日、
「母や弟にもいい影響を与えないので、進学は諦めて就職する」
と、進学を断念する旨を告げられました。
「え!?」
と思った私は、何を血迷ったか、
「じゃあ僕が代わりに(大学に)行くよ」
と彼女に言っちゃったんですね(;’∀’)
彼女も同じ高校を不合格になってたし、
これまで好き勝手にやってきて、何もがんばれない自分を変えたい、
とか、
彼女の夢を代行して、彼女に認められたい、
って思いも密かにあったんだけど(^^;
それにしてもエライことを言ってしまったもんです(;´∀`)
でも言ってしまった以上、
もう引き返せなくなっちゃったんですね。
高校入試失敗のリベンジだ!
結局やらざるを得なくなった私は、そこから必死になりました。
そして
「勉強も必死でやるとおもしろいもんだな」
と思うようになったこと。
さらに過去に公立落ちで苦い経験をした多くの同級生が、
「二度とあんな経験はしたくない」
とばかりに、
必死で勉強を始めたのも、
私にとっては追い風になりました。
クラスには、受験に向かういい環境が醸成されていったのです。
それでも順風なことばかりではありませんでしたが、
自分の夢を代行してがんばってる私を支えてくれた、彼女の存在も大きかったですね。
おかげさまで彼女が目指した大学には無事合格することができ、
その後、教員採用試験にも合格することができました。
高校入試に失敗した経験がこういう結果に繋がるとは、当時思いもしませんでしたが、
人生、何がどう左右するか? なんて、ホントわからないですし、
まだ若い頃には、
どんな失敗も必ずリベンジできること
そして、
人生に逆転は付き物だ
ということを、私は学んだように思いますね。
初任校は、自分が不合格になった「あの」高校
無事に採用試験もパスし、
「どこに採用されるのかな?」
と思っていた1987年3月下旬。
自宅に採用連絡の電話が入りました。
☎「貫雪先生のお宅ですか? 私○○高校の校長です。あなたを本校で採用しますから、4月1日の9時に、大学の卒業証明書と教員免許を持って校長室に来てください」
「ん? ○○高校? マジ??」
「え? 本当にそこで先生すんの??」
と思いましたが、地獄の不合格発表から7年後、再び同じ門をくぐることになりました。
同校での思い出は以下過去記事にも書いています。
また同校在職中に、偶然にも自分の入試成績を知ってしまった、という昔話は、以下に書いていますので、併せてご覧ください。
高校入試に失敗したみなさんへ_「過去がどうか?」ではなく「今をどう生きるか?」で未来は決まる
捨てる神あれば…
私の体験談を長々と書きましたが、
さて、高校入試に失敗したみなさん。
私の体験は「たまたま」かもしれませんが、
私自身がこの体験から学んだことは、
仏教でいう
諸行無常
と、
捨てる神あれば拾う神あり
や
渡る世間に鬼はなし
という人生の大原則です。
「諸行無常」は、このブログで何度も言っていることですが、
「諸行」とは、すべての存在や事象
「無常」とは、恒常的でない(変化する)
という意味ですから、すべての存在や事象は変化していく
というのが諸行無常です。
関連記事も併せてご覧ください。
また「捨てる神あれば拾う神あり」「渡る世間に鬼はなし」は、
みなさんも聞いたことがあるかもしれない有名な諺です。
どちらも、
人生は必ず何とかなる
という意味ですが、
これと同じ内容は世界中にあって、
英語では、
“When one door shuts, another opens.”
「1つのドアが閉まると、もう1つのドアが開く」
中国語では、
“天無絶人之路”
「天は人の道を絶つことはない」
といって、すべて同じ意味で使われる慣用句なんですね。
いまみなさんは、
高校入試を失敗し、
「道を絶たれた」
「ドアが閉められた」
「神に見捨てられた」
と感じ、落ち込んでいると察しますが、
人生長い目で見ると必ず、
「道が開け」
「ドアが開き」
「拾う神が現れる」
…そんな日が来るのが人生です。
そして、これを端的に表した語が「諸行無常」なんですね。
まずは「現実を受け入れること」
厳しい言い方かもしれませんが、
高校入試に失敗したのは「現実」であり、
その過去を変えることはできません。
しかし、
過去の事実そのものは変えられなくても、
その捉え方を変えることはできます。
つまり、
高校入試に失敗し、
「自分はダメだ」
と捉えることもできるし、
「あの経験が自分を成長させるきっかけになった」
と捉えることも可能なんですね。
ですから、
まずは不合格という「現実」を受け入れ、
次に、
この経験をよりよい将来に向けた試金石にしよう!
と、自分自身を奮い立たせてください。
みなさんの人生はまだ長く、
今後いくらでも逆転の可能性があります。
そのために必要な試練を、
神様は今のあなたに与えたのだ、
と考えてくださいね。
そしてご縁のあった高校で、精一杯の学校生活を送っていただきたいです。
保護者のみなさまへ
最後に、
保護者にとっても、お子さまの受検失敗は大きなショックです。
私も保護者として、子どもの特色入試失敗を経験しました。
「何か声を掛けたい」
という親心はよくわかりますが、
一番悔しい思いをしているのは、お子さま本人です。
お子さまが、いつ、どんな状況でも、
親として最大限の応援をする旨だけを伝え、
それ以上は何も言わない方がいいですね。
お子さまは新しい環境で、少しずつ立ち直っていくはずです。
間違っても、
「あなたの努力が足りなかった」
「だから”勉強しなさい”って言ってたじゃないの」
「○○ちゃんはもっとがんばってたよ」
「お母(父)さん、がっかりだよ」
…など、親の怒りやエゴをお子さまに叩き付けるような言い方だけは絶対にしないでください。
とにかく、
静かに見守ってあげ、いつもどおりの対応をお願いします。
そんな親の背中を見て、お子さまなりに思うところは、必ずあるはずです。
お子さまの成長を信じてあげましょう。
コメント