いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今日のテーマは「叱られる」話です。
あなたは先生や先輩から叱られたこと、ありますか?
叱られるのは誰にとってもイヤなもんですが、
しかし、人は「叱られるうちが花」なんです。
「??…」と思われるかもしれませんが、本当です。
人は、
大人になると叱られなくなります
みなさんは、
「叱られない方がいい」
と思うかもしれませんが、
実際は逆なんですね。
今日は、なぜ「叱られる」方がいいのか?
ということをお話しします。
半信半疑だと思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
なお本記事は2022年8月5日公開のリライト版になります。
「叱る」と「怒る」は違う
よく似た言葉ですが、全く意味が違います。
叱る=相手の非を改めさせたり反省を促すために指導する行為 怒る=自分の感情が抑えられずに怒りを爆発させる行為
です。
私の経験から生徒は、「先生に叱られた」より「先生に怒られた」という使い方が圧倒的に多かったので、これより先の生徒目線で書く部分は、「叱る」の意味で「怒る」と表記させてもらいますね。
生徒はいつもビクビク(;’∀’)
教員時代、職員室に生徒を呼ぶと、
「よかった~ 私怒られるのかなぁ?ってドキドキして来たんですよ」
ってよく言われました。
「いや、何も怒る理由はないよ。もしかして何か心当たりはあるの?」
「いえ、何もありませんけど…」
これは、
職員室に呼ばれる=先生に怒られる
と思わせるくらい、我々はいつもネチネチ何か言ってるってことなんでしょうかね…(;’∀’)
それとも、生徒は常に先生に叱られることに過敏になっている、ということなんでしょうか?
もしかして、私のことを「怖い先生」だと思っていたんでしょうか…??
大人になると自分に非があっても叱られなくなる
高校生には信じられないことですが、
人は年齢を重ねるごとに叱られなくなります。
もちろん、大人になってまで人に叱られるようなことはしない、ということもありますが、
もっと違った形でペナルティを受けるのが大人の世界です。
叱っても無駄だし、逆ギレも怖い
私が車の運転をして思うのは、
交通マナーは大人の方が断然悪い
ということです。
傘さして自転車乗ってるし、横断歩道のない所で横断する…。
「危ねぇな(; ・`д・´)
普段から多分誰にも注意されないんでしょうね(;´∀`)
下手に注意なんかしたら、逆ギレ(; ・`д・´)されそうで怖いし、、、
だから、「言っても無駄」「事故ってもその人のせい」
と見放されて、
誰も関わらなくなるのです。
交通マナーは、相対的に高校生を含む若い人たちの方が、断然いいと(個人的には)思ってますよ。
しかし学校にはよく苦情の電話がかかってきてましたけどね(;´∀`)なんでだろ?
面従腹背
私自身も年齢を重ねるごとに、ほとんど叱られなくなりました。
人から後ろ指を指されることがなくなったのか?
それとも「言っても無駄」だと思われているのか?
…私にはわかりませんが、個人的には、
「これでいいのかな?」
と不安にも思っちゃいます。
しかし逆の立場で考えると、
私も、生徒を叱ることはあっても、
同僚を叱ることはほとんどありませんでした。
「言っても無駄」
という気持ちよりも、
どちらかと言えば、
注意することで「人間関係」がギクシャクするのを避けていた、
というのが本音です。
どうしても後輩を指導する必要がある時は、
別室に呼んでこっそり注意していましたね。
これは上下関係のはっきりした一般社会ではなおさらです。
特に部下が上司に物申すことなど、よほどでない限り、あり得ないはずです。
ダメ上司は陰で「ボロカス」に言われ、目の前だけイイ顔されるんですね(-_-;)
もちろん大人ですから、SNSで誹謗中傷するなんてことは基本的にしません。
まさに「面従腹背」(人前では言うことを聞いているように見せかけ、心の中では反発していること)です(-_-;)
高校生にもこの心理はわかるはずです。
先生に怒られても、心の中で「あかんべー」してることは…実際ありますよね(;´∀`)
叱られた方がいい理由
大人になって怖いのがこれです。
- 面従腹背の返事なのか?
それとも - 素直に従う、という返事なのか?
- 「言っても無駄」と思われているから注意されないのか?
それとも - 「ちゃんとできている」から注意されないのか?
↑この判断、自分では難しいんですよね。
この区別がわからないから不安にもなります。
逆にこれ、
きちんと叱られたり褒められたりすると、はっきりするんですね。
特に大人になると、
注意されないことをいいことに、
「自分は正しい」
と思い込む厄介な人も増えてきます。
これは大人同士でも面倒な存在です(;’∀’)
そしてさらに言うと、
面従腹背の返事ばかりしてたり、
悪い意味で何も言われない人は、
いずれ誰からも相手にされなくなっていくんですね。
これはもちろん「いじめ」ではないので、
必要最低限の社交辞令(事務連絡)だけは行われます。
しかし、それ以外は一切相手にされなくなる、というのが大人の世界です。
こわい…こわい…(;’∀’)
だからこそ、若い今のうちにちゃんとした社会規範やマナーを身につけておく必要があるんですね。
こう知れば「人間叱られるうちが花」という意味は分かっていただけますか?
効果的な叱り方
初任時代の貫雪
教員の仕事で一番難しいのは、
「生徒を効果的に叱ること」
と言われます。
私が初任の年に、当時の教頭から、
「君は生徒を本気で叱れるか?」
と聞かれ、一瞬返答に困りました。
「いや、本気では怒れないです…」
と答えると、
「怒るんじゃなくて、本気で叱れるか?って聞いてるんだけど」
「??」
…と、頭を傾げる私に、怒ると叱るの違いを説明した教頭は、
「あなたはまだ生徒を本気で叱れないでしょ。でも、叱る時は本気で叱らなくてはダメですよ」
と言われ、納得はしましたが、その後もしばらく生徒を本気で叱ることはできませんでした。
若い頃は血気盛んでもあるので、生徒を「怒る」ことはよくありました。
今では絶対に許されない「体罰」を加えたこともあります。
そして、荒っぽい怒り方をすれば、生徒は言うことを聞きます。
…が、こういう怒り方をして、実は「自分を守ってたんだ」と思います。
指導に従わない生徒に手を焼く女性の先生から、
「男の先生は(生徒を)力で抑えられるからいいわね~」
と言われたこともありましたが、
しかし今思えば、これぞ面従腹背だったんですね。
心の中では絶対「〇ね!」と恨まれていたこともあったはずです(-_-;)
私が生徒を本気で叱れるようになったのは、
結婚して子どもを授かってからだったように思います。
効果的な叱り方
叱り方の前提は「相手のためを思う」ことです。
自分の怒りをぶつけるためにすることではありません。
生徒はこの差にすごく敏感で、
「この先生は誰のことを思って怒っているのか?」
ということを直感的に感じ取ります。
いくら口先で「あなたのことを思って…」的なことを言っても、
それが本当かウソかは見抜かれていますね。
私が生徒を叱るときに心掛けていたこと
- 生徒の目と口元を見て話す
- 落ち着いた声でゆっくり目に
- 生徒の言い分を聞く
- 生徒の言い分を一度受け入れる
- 例え話や他人の立場に立った話をする
- なぜその行為が悪いのか?という理由を話す
- 反省の色が見えたらその時点で許す
- その後は原則蒸し返さない
- 同じ過ちを繰り返した時は厳しく指導する
これらの心がけは、自分が子を持ったことで、
「自分の子ならどうする…?」の思いが強くなったことや、
他の先生の指導を間近で見て、参考にしたことも多いです。
生徒を効果的に叱るのは、本当に難しいです。
さらに、いくら叱り方が上手な先生でも、生徒と人間関係が築けていないと、
入る指導も入らないことだってあります。
生徒だって、
「あの先生に言われたら言うことをきくけど、他の先生ではそう思わない」
とか、はっきり言いますからね…。
上手に生徒を叱れるようになったら、初めて一人前の先生だと言えるでしょう。
まとめ_人は叱られるうちが花
誰でも「叱られる」のはイヤなことですが、
自分のためを思って、叱ってもらえるのは、
ある意味とても幸せなことなんだと思ってください。
人を叱るのは、実はとても難しく、とても気を遣う行為で、すごく疲れることなんです。
それでも、あなたのことを思って、心から叱ってくれる人は、あなたにとってとても大切な人です。
大人になると、本当に叱られなくなりますからね。
ある人は「すべて自分が正しい」と過信するし、
ある人は「これでいいのか?」と自分に自信が持てません。
そういう意味で大人には「自立(自律)」と「責任」が求められるのです。
高校生は、大人一歩手前の年代です。
今叱られることがあれば、その環境に感謝し、
いずれは自立心と責任を兼ね、さらに次代の若者を牽引できる立派な大人に成長してくださいね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではでは、また次回、、、
コメント