いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今日のテーマは学習の基本。
小学生みたいなことを言うようですが、
これは高校生でも同じ。
「読み」「書き」「そろばん」です。
子どもの習い事は、スイミング、プログラミング、英会話あたりが主流の現代。
そんな現代でも何故「読み」「書き」「そろばん」が大事なのか?
特に今の教育体系にはより重要で必要とされる能力でもあるので、
最後まで読んでいただければ幸いです。
新しい学力観
文部科学省が数年ごとに改定する学習指導要領。
時代の教育課題に対応できるよう、高校までの教育課程を示したものです。
これには法的な拘束力があり、授業や特別活動はこの要領に沿って指導計画が立てられています。
自ら学ぶ意欲
私たちの時代は「詰め込み教育」が主流でした。
受験戦争という言葉も生まれ、意味も分からず公式や年号を、九九を暗記するみたいに無理やり詰め込んだものです。
その弊害が問題となり、20世紀末には「ゆとり教育」へと転換。学習内容が大幅に削減され、総合学習が見切り発車の形で始まりました。
しかし同時に生徒の学力低下が大きな問題となりました。
最新の学習指導要領の目玉は「自ら学ぶ意欲」の涵養です。
これまでは教員が一方的に授業を進め、生徒は受動的な姿勢でこれを受ける、
というスタイルでしたが、最新の改定では、
生徒が自ら課題を設定し、教員や生徒同士の助言を得ながら自主的意欲的に問題を解決する能力を養う、
というスタイルに大転換したのです。
思考力、判断力、表現力
この大転換により、ただ静かに座って授業を聞いているスタイルがまず否定されました。
まず、自らが課題を設定し、どんな過程を経てこれを解決に導くのか?まで計画的に思考・判断する能力が求められるようになりました。
さらに、自分の思いや導いた結論を、他人に理解できるよう発信する表現力も求められるようになりました。
つまり、ただストックするだけの「知識」を否定し、これ(知識)を意欲的に活用することで、
真の「学び」を追求しようと策定されたのが、最新の指導要領なのです。
授業に「プレゼンテーション」や「ディベート」が取り入れられるようになったのも、こういった背景によるものです。
体験的な学習や問題解決的な学習
アクティブラーニング
これまでの授業が「受動的」だった反省から、「能動的」な活動に転換を図る象徴が「アクティブラーニング」です。
これは主体的対話的な活動を通して、深い学びを獲得するための手法です。
アクティブラーニングに決まったスタイルはなく、「グループ学習」や「ICT利用」「プレゼン」「ディベート」など… 時には校外学習や修学旅行を利用して「班別研修」「テーブルマナー講習」など…さらに文化祭や体育祭などの学校行事の中で、体験を重視した学習活動すべてを指します。
また結論を自主的能動的に導けるよう、答えが一つと決まっていない課題にも取り組み、自分なりの問題解決の手段や方法を模索する活動も、大切な要素となっています。
入試問題の変化
共通テストのバタバタ
センター試験から共通テストへの大変革も、この流れによるものです。
共通テストの目玉であった
「英検等外部試験の導入」
「国語、数学の記述式導入」
は、2つとも思考力や表現力を測る目的で導入が検討されましたが、
「迅速で平等な採点」
が担保できないため、導入は先送りとなりました。
高校入試でも
この流れは、高校入試にもあります。
入試は守秘義務の塊なので、ここに詳しく書くことはできませんが、
公表されているものに限れば、
- 試験時間の延長
- 問題量の増加
- 記述式問題の増加(記号で解答する問題が減った)
- 設問文が長くなった(会話文や資料が提示され、それを読み解く形式が増えた)
という変化が顕著です。
例えば、数学の第1問は、これまで
ー9+(ー3)×2=?
という問題だったのが、
(1)標高257mに水面がある〇〇湖の、最深部は標高何mになるか。ただし〇〇湖の最深は水深39mである。
(2)〇〇湖のふもとにそびえる△△山の標高は388mである。山頂から水面までの標高差を求めなさい。
(3)〇〇湖最深部と△△山山頂の標高差を求めなさい。
…となり、計算自体は簡単ですが、問題文をよく読んで、その意味を理解し、計算式を考えなければ答えを導くことができません。
また記述式の解答が圧倒的に増え、記号で答える問題が減りました。
記号で答える問題は、当てずっぽうでも当たることもありますからね(;’∀’)
つまり、
入試も、これまで以上に読解力と思考力、さらに表現力が求められるようになった
ということです。
これから求められる能力
読み書きの能力
以上からもわかるように、
今後の学習や入試に、
読み書きの能力
は絶対に欠かせません。
「読み」の能力は、読書で養われます。
また、その基礎となる読解力や想像力は、
幼少時、親の”読み聞かせ”で育むことができます。
「書き」の能力は、作文とドリルで養われます。
作文は書きっぱなしで終わらず、
読み返して推敲してみることでより良い表現力が培われます。
そして、漢字や要約のドリルを繰り返すことです。
また語彙力がないと、適切な表現ができないので、
日頃から本や新聞を読む習慣をつけておく方がいいでしょう。
そろばん(計算)の能力
計算の能力は、多くの情報を短時間に処理する能力を涵養するために必要不可欠な能力です。
例えば、九九を暗唱できるからこそ日常生活で様々な情報処理ができるように、計算の概念は幼少期より身に着けさせる能力です。
私の子は保育園時代から「公文」に通っていました。
公文では徹底的にドリル…ドリル…を繰り返すんですね。
頭の中に「計算の概念」を叩き込むわけです。
小学4~5年になると、高校生でも難しい因数分解や高次関数がスラスラと解けるようになります。
数字を見ただけで、頭の中で式の「構造」が理解できるようになり、必要な公式や問題解決までの過程をイメージできるようになるのです。
さらに情報処理速度も圧倒的に早くなります。
中高生になると、特に「数学」の能力差が顕著になりますが、こういった概念や構造、問題解決への過程をイメージできないから好き嫌いが大きくなるのだと思います。
まとめ_個人的な思い
古い人間だと思われるかもしれませんが、
私は以上の観点から、今も幼少時からの人間形成には
「読み」「書き」「そろばん」
が大切であり、学習のベースだと思っています。
親の読み聞かせや、習字、そろばん、公文式…など昔から定番の習い事が、
人の基礎を作る根っこあり、新しい教育観でもこれを土台として成立することが明らかです。
苦手な人は今からでも遅くはないので、小学校のドリルからやり直してみることを、
強くお勧めします。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
また次回に、ではでは、、、
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