【保護者向け】_勉強しない高校生へのアプローチは子ども目線?大人目線?

保護者向け
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いつもご覧いただき、ありがとうございます。

今日は高校生の子を持つ保護者に向けたお話をします。

保護者の悩みを聞く中で、圧倒的に多かったのは、
「うちの子にもっと勉強させるにはどうしたらいいですか?」や、
「家でゴロゴロ…スマホばかり…何もしなくて困ってます」
という相談です。

「私の言うことは聞かない」「やっぱり塾に行かせた方がいいか?」「(兄弟)はもっと勉強をするのに」…
など、語り出したら止まらないお母さんが多かったように思います(;´∀`)

今日の話は、教員としてたくさんの家庭を見てきた経験と、自分が子育てをした経験の両面で記事を書いていきます。
最後まで読んでいただけるとうれしいです。

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勉強は自分の意志でするもの

「勉強しなさい!」は逆効果

「なぜ勉強しなければいけないか?」
という過去記事は、別に書きましたが、
「勉強をした方がいい」と経験的に知っている大人は、自身の経験を元に我が子には「勉強をしてほしい」と願うものです。

そんな思いが高じて、ついつい

勉強しなさーい!

とは言っていませんか?

しかし、こう言われて素直に机に向かう子は、ほとんどいないと断言します。
それは何故でしょう?

答えは簡単。
勉強は多くの子にとってイヤなもの→イヤなことを強制されても前向きになれない
からです。
これを言えば言うほど、
子どもは親から逃げることばかり考え、部屋に籠って出て来なくなります。
場合によっては、
「うるさい!」
と反発すら食らうこともありますよね(-_-;)

しかし親の気持ちもよくわかる

もちろん保護者の気持ちもよくわかります。
勉強の大切さは大人になってわかるものですし、大抵は大人になって後悔した経験があるからです。
我が子に同じ思いをさせたくない、という気持ちは、どの親もが願う感情です。

もちろん(親である)自分だって、その親から同じことを言われて育ったのではないでしょうか?
今思えば、私の将来を案じて口うるさく言ってくれたことに感謝しつつも、おそらく昔はこれに鬱陶しく思ったこともあったはずです。

「勉強しなさい!」の声かけは大人目線

このように考えれば、「勉強しなさい!」という声かけは、
完全な大人目線を子どもにぶつけていることになります。

子どもは大人の目線を持っていませんから、
いくら言われてもこれを理解することができないんですね。
だから「逃げる」か「反発する」かの結果を招きます。

大人にしかできないこと

大人は長く生きた分、子ども時代の経験と、大人目線の両面を知っています。

人を育んだり導く時に大切なのは、
その人目線に立った声かけができるかどうか?にかかっています。

しかしこれはなかなか難しいことです。

人はどうしても、

「今」と「自分」を基準に物を考えることが多い

からです。

「勉強しなさい!」という声かけは、
「今」「自分」が困っているから発してるわけです。
我が子が将来こうならないように導くのが「親の愛情」だと思っているからです。

しかし、この気持ちは数十年後にしか理解してもらえません。
それでもいいのですか?

本当は今わかって欲しいんですよね?
それならば、今の親にできることは、

自分も過去に経験した”子ども目線”に立って語ること

しか方法はないんですね。
大人目線だけで声かけしないで、なるべく子ども目線に立って勉強することの大切さを教えてあげることが大切なんです。

具体的には

  • 自分も勉強が嫌いだった過去の気持ちを掘り起こし、
  • 子どもの気持ちを聞ける範囲で聞いてやること、です。

そしてまず、これを肯定してください。
これが「子ども目線」に立った見方だからです。
そして私(保護者)自身は、

  • 過去にこう悩んでいた
  • 過去にこう解決した
  • そして今はこう思う

と、自分の経験や思いを語ってやると、子どもは比較的素直に話を聞いてくれると思います。
これはネットなどで答えを調べないでください。
子どもの気持ちを肯定した上で、
保護者自身の生の経験や思いを語らないと、説得力はありません。

そしてこれに「即効性」は求めないでください。
人の成長は、植物の生長と同様、目には見えないものです。
しかし確実に子どもの今の・・意識」は変わるでしょう。

種を蒔いたら、芽が出て花が咲き実が成るまで、じっと待ってやるのが「保護者の役割」です。

私はどうしたか

私自身も親から「勉強しなさい!」と言われて育ちました。
昔はそれがとてもイヤだった思いもあります。
しかし教員になって、保護者から「勉強」に関する相談を受けるうちに、そんな自分の過去と重なるところが見えてきました。

だから自分の子にはちょっと思い切ったことを言ってみました。
内心は「ギャンブル気分」だったんですけどね…(;´∀`)ドキドキヒヤヒヤ~~
「このやり方で失敗しても、人生なんてなんとかなるだろう」
と開き直っていた面もありました(;´∀`)

子どもに言ったこと

息子が小学校5年生くらいの時です。

貫雪
貫雪

お父さんは○○(息子の名)
「勉強しなさい」とこれからも一切言わないからね。
逆に「勉強しなさい」って命令みたいに言われたらイヤでしょ?
○○が「自分で勉強しよう」と思ったらやればいい。
そのために必要なことがあったら、何でも言いなさい。
できる範囲でフォローするからね…

と言って、その後はこれを一言も言いませんでした。
子どもの責任感に賭け、信じ任せてみたのです。
息子は高校入試まで「塾に行きたい」と言ったので行かせたのと、
センター試験後にZ会で英語の二次対策をしたい、と言ったので、その分の費用は出しました。
娘も高校入試前の個別指導塾と、高3の夏休みから通った画塾には費用を出しました。

二人とも、リビングで勉強していましたが、私は見たいテレビを普通に見ていました。
「勉強の邪魔だから…」と遠慮してテレビを消すのではなく、自分の部屋があるにもかかわらず、リビングで勉強する「選択」をしたのは子どもたち自身だからです。

子どもの自主性に任せるといいことがたくさんあった

本心はヒヤヒヤだったんですが、この方法でいいこともたくさんありました。

  • 子どもが勉強する姿を常に見ていられたので、よく子どもを褒めることができたこと
  • 雑音の中でも勉強をする子どもの「集中力」を感じることができたこと
  • 兄が妹に勉強を教えるシーンを何度も見たこと
  • 勉強の合間に自然と進路や人生などの話ができたこと
  • 子どもに任せることで、お互いの信頼感が生まれたこと

もちろんこれは父親だけでやったわけではありません。
同じスタンスで子どもを見守った母親の存在が何よりも大きかったのは言うまでもありません。

母親も子どもの勉強や進路には一切口を挟みませんでしたが、その代わり、勉強に疲れた子どもの気持ちを癒すため、よく話し相手や遊び相手になっていましたね。
これもすべて「子ども目線」の対応で協力してくれたおかげだ、と感謝しています。

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まとめ(人生のレールは自分で敷くもの)

今日言いたかったこと、
それは、
人生のレールは自分で敷くもの
という意識を親が持つこと。

子どものことが心配で「勉強しなさい!」と言ってしまうのは、
欠課保護者がレールを敷こうとしていることになるんですね。

もちろん、子どもが高校生にもなって急に方針転換できない事情も分かります。
しかし何かきっかけある時を見計らって、
「あなたももう高校生なんだから、これからの人生は自分でレールを敷かなければいけないよ」
と距離を置く姿勢を見せなければいけません。18歳成人を話に持ち出しても効果的でしょう。

そしてこれは何故かというと、

普通に考えたら、

親の方が先に死んでしまうからです

だから親の愛情とは、親亡き後に自立して生きていけるよう育てること、に尽きると思うのです。

子は親の分身ではなく、一人の個人としての人格を持った人間です。
いずれは親から巣立って生きていく宿命を背負います。

そんな人生を生きる子どもには、その年齢に応じた目線で導いてやることが親の役目なんですね。
勉強しなければいけない、と思っているのは、実は子どもも一緒です。

勉強もやれば楽しいものですが、過去記事はそんな内容でも書いていますので、よろしければ併せてご覧ください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今日はこの辺で。
ではでは、、、また次回、、、

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