いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今日のタイトルを一見すると「なんで?」と思うかもしれませんが、
人が適切な人間関係を築くには「とても大切なこと」
だと私自身が日頃思ってることです。
今日の話題は、俗にいう「ロジック・ハラスメント」
略して「ロジハラ」についてです。
あまり聞かない言葉ですが、これ世の中には意外と多いんですね(;’∀’)
ロジハラとは「ロジック(logic=論理)」と「ハラスメント(嫌がらせ)」の合成語。
logic=論理とは「筋道が通ったこと」つまり「正論」なわけです。
ではどうして「正論」が「嫌がらせ」になるのでしょうか?
不思議な感じがしますよね。
しかし世の中には「正しいこと」だと主張しても、これが受け入れられないことがあります。
例えば、みなさんもネットに上がる「批判」や「誰かの何気ない一言」に傷ついた経験があるかもしれませんが、あれも、
書いてる(言ってる)本人にとっては、
至極まともなこと(正論)を主張しているのだ
と、冷静に考えればわかるはず。
当然書き込む本人にすれば、
自分は正しい=周りが間違っている
と思い込んで、堂々と自己主張しているわけです。
…が、さらに踏み込むと、
それで誰かが「気分を害してる」という現実もあるわけで、
そう考えると、
誰かにとっての「正義」「正論」は、
必ずしも良好な人間関係に寄与するとは限らない
ということになりますね。
今日はX(=旧Twitter)に投稿された”つぶやき”や、最近世間を騒がせている”Alps処理水”の海洋放出について、自論を展開します。
また大人になればよく聞くであろう「反対のための反対」という感情論や先入観から反対する心理、
さらに「シャーデンフロイデ(他人の不幸を喜んでしまう感情)」と呼ばれる心の中にある「負の感情」にも考察を加えようと思います。
高校生のみなさんには、自分の胸に手を当て自身を省みるとともに、これを面接や小論文対策の参考として読んでいただければうれしいです。
X(=旧Twitter)の書きこみをどう考える?
以下は2023年5月、X(=旧Twitter)に書きこまれたもの。
社会人の「飲み会」に関する上司と部下のやりとりです。
まずはこれを読んでください。
このやりとりを、あなたはどう思いますか?
どちらも「正論」を主張しますが、その内容は180度違うんですね。
どっちが正しいとか間違ってるよりもまず、社会には、
正解が1つだけじゃない
ことがたくさんある、ということを理解してほしいんですね。
(もちろん正解が1つだけのことだってあります)
ま、個人的にはこのケース、どっちもどっちだと思っちゃいます(;´∀`)
(詳しくは後述します)
しかし高校生世代は「正解は1つ」と思い込んでいる人も多いのが現実です。
例えば、
学校の成績=優秀であるべき
と盲目的に思い込んでる生徒がたま~にいますが、
(逆もいる)
通知表の成績だけ優秀でも、それが人格のすべてではない、という「価値観」くらいは持ってよ、
と心中思ったりします(^^;
しかしマークシート形式のテストなんて、答えはいつも「1つ」ですもんね。
そんな「正解」を求める(求めさせる)教育が主流のこれまででは、
「正解は1つだけじゃない」って概念を理解するのは難しいのかもしれません。
もちろん学校教育には、多くの正解や多様性を理解するためのプログラムだってあります。
「芸術」や「総合」の授業などは、その冴えたるものでしょう。
これからの教育に必要なのは、画一性と多様性を適切に理解し活用できる能力を涵養(育成)することだ、と私は思いますね。
正論という名の暴論
Alps処理水の海洋放出
2023年8月から、福島第1原発では「Alps処理水」の海洋放出を始めました。
Alps処理水とは、トリチウム以外の放射性物質を環境放出の際の規制基準を満たすまで繰り返し浄化処理した水のことです。
これは東日本大震災に伴う福島第一原発の事故で溶け落ちた燃料を冷却し汚染された水を、貯蔵する余裕が無くなってきたため、規制基準以下に処理して、これを海洋に放出するというものです。
しかしいくら「基準以下だ」といっても、処理水には微量の放射性物質トリチウムを含むので、内外の不安は消えないのです。
この方針には風評被害を心配する地元の漁業関係者をはじめ、多くの反対が起こり、その都度、国や東京電力は説明や対策に追われ外堀を埋める作業を繰り返しているのです。
しかし増え続ける処理水の貯蔵量が限界に近づいたこともあり、反対の声が残る中での海洋放出となった、というわけなんですね。
処理水の処分には、海洋放出以外に大気中に放出する案もあったそうです。
しかし大気放出には莫大な経費がかかることや、
国内外の原子力発電所では、発生するトリチウムを、各国の基準に基づき薄めて大気や海洋に放出している現状もあることから、この方法が決められた、とのこと。
これは福島に限らず、どこも通常トリチウムを排出している、ということなんですね。
…なのに、なぜ福島の海洋放出だけがここまで非難されなければいけないのでしょうか?
反対のための反対
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」
という諺があります。(袈裟=僧侶の着る法衣)
一度嫌いになると、その周りまで嫌いになる、という意味ですが、
処理水放出で、この諺を思い出したのは、中国の反応でした。
みなさんもご存じのように、処理水を放出した8月24日を境に、福島県内のあちこちに中国からの電話が頻繁にかかってきたんですね。
さらに中国国内では、処理水に関する「デマ」も流されているそうです。
嫌がらせの電話は、中国国内のSNSでその発信が呼びかけられた結果、それに乗じた人が次々に国際電話をかけた、とのこと。
もしかすると、根拠のないデマだけを信じて事に及んでいる…とまで思いたくありませんが、
少なくともその経緯や科学的根拠を詳細に理解しているとは、とても思えない所業です。
これは原発に関係ない個人宅やホテルなどにも迷惑電話がかけられているからです。
反日教育を受けて育ち、本気で「坊主(日本)」が憎いと思う人は、まるで関係のない「袈裟(個人宅やホテル)」までをも憎く感じるのでしょうか?
そしてこういう現象を俗に
「反対のための反対」
といいます。
とにかく自分たちの立場や感情を最優先するための「反対」なのです。
同様のケースは、
シーシェパードに代表される「反捕鯨団体」にも見られます。
「海洋保護」という大義名分を盾に、日本の捕鯨活動を、時に暴力的な手段で攻撃する団体です。
しかし日本では古来より「捕鯨」は伝統的に行われてきたことで、これは食文化の違いです。
これが無益な殺生でないことは誰の目にも明らかです。
牛や豚はよくて、なぜ鯨はダメなのか?
私にはよくわかりません。
これも「反対のための反対」の冴えたるものだと思います。
みなさんは、Alps処理水や捕鯨の是非について、どんな”考え”を持ちますか?
時間のある時にじっくりと考えてほしいことです。
ロジハラについて考察する
リード文にも書いた「ロジックハラスメント=ロジハラ」
”正論による嫌がらせ”という意味ですが、多様な価値観の中で、1本のものさしで他者を攻撃する是非について考えてみましょう。
最初に紹介した上司と部下の会話。
部下は、
「仕事じゃないから」「自分は飲めないから」
という理由で飲み会の誘いを断り、
これを”正論”だと主張します。
それに対する上司は、
「その言葉が相手にどういう影響を与えるのか?」
までを考えて発言するのが”大人”だと諭し、
仕事に関する事はキチンと指導するし失敗も自分が責任をとるけど、
それ以外に関して要望は一切聞かないし、話も聞く気はない。
また他人に対して何1つ尽くすつもりが無いのなら、
他人に同じ対応されても文句が言えないんだ
と断じ、こう言う自分も”正論”だと主張する内容です。
このやりとりを「どっちもどっち」と思う私は、
「同じ内容でも言い方ってものがあるだろ!?」
という思いです。
「お互いに正論」を主張しても、結果として相手を不快にさせたのは、その言い方に問題があります。
「何すかその言い方。 酒を飲めない人間が飲み会断ったら”自分中心の生き方”って…。 俺は何か間違った事言ってます?正しい事言って何が悪いんですか?」
「でもそれ以外の事に関しては、君の要望は一切聞かないし、話も聞く気はない。 当然だろう?他人に対して何1つ尽くすつもりが無いのなら、 他人に同じ対応されても文句が言えないんだから。」
「パワハラ?何がだよ。お前、言ったよな。 俺、何か間違った事を言ってますか?って。 俺も何か間違った事を言っているのか?」
…なんて部分は、言い方ひとつで伝わり方は全く違ってくるはずだと思います。
もうこれは「売り言葉に買い言葉」です。
「自分だけが正しい(正義)」と思うからこそ、この言い方になるんですね。
だから正論をうまく伝えるにはこう思い込まず、
相手の立場に立った伝え方をすることが大切だといえるでしょう。
そこにあるべき配慮がないから「ハラスメント」になるんでしょうね。
みなさんはどんな伝え方がふさわしいと思いますか?
シャーデンフロイデという負の感情を知ろう
また「シャーデンフロイデ(Schadenfreude)」という語を知る人は少ないと思いますが、
これは誰の心中にも存在する「負の感情」です。
シャーデンフロイデとは、シャーデン(不幸、災い)と、フロイデ(喜び)の合成語で、
他人の不幸を(手を下さずに)喜んでしまう感情
のことをいいます。
例えば、芸能人Hが不倫をきっかけに離婚した
なんてスクープが流れると、多くは興味津々に「バカだね~」なんて言いながら内心「ほくそ笑む」心理のこと。
芸能人Hが不倫しようが離婚しようが、自分には全く関係ないことなのに、それでも他人の不幸に「蜜の味」を感じちゃう心理は理解できる…とは思いませんか?
また不思議なことにこの心理は、対象が自分に実害のない身近な人か権力者ほど「甘く」感じるんですよね。
- クラス内で付き合ってたカップルが破局した
- 隣家の息子さんが入試に失敗した
- 大臣が失言で対応に追われている
- 有名芸能人が違法薬物で逮捕された
…といったスクープネタには多くの人が興味関心を持つので、
週刊誌や新聞、テレビのワイドショーで騒がれ、SNSでトレンド入りします。
しかし多くの人が持つこんな「負の感情」をどう捉えるか?
あなた自身がよりよく生きるためにも、一度は胸に手を当てて考えてほしいことです。
「我は正義なり」と正当化される”誹謗中傷””ロジハラ”
シャーデンフロイデがより顕在化するのが、ネット上の書き込みやコメント欄です。
一見”正義”の書き込みのようにも見えるこれらの多くは、他人の不幸を陰でせせら笑う感情を内包している、と私は感じます。
ほとんどの人にとって関係のないことに、いかにも「評論家」気取りで寄って集って傷に塩を塗るようなコメントが延々と投稿されるさまに閉口することが少なくないからです。
書きこんでいる本人にとっては”正論”のつもりでしょうが、それを「正義」だと勘違いしないでほしい。
他人の不幸は蜜の味、シャーデンフロイデの心理は理解できても、理性ある多くの人は心中そう思うだけで、これを表面化しないものです。
なぜなら自分には直接関係のないことだからです。
そして報道以外にもあるだろう背景や心情も不明な中で、
さもわかったかのようにこれを評する立場ではない、と思うからです。
これを”鬼の首を獲った”かのごとく吹聴する人は、きっと
きっと自分に自信がないんだろうな
他人を攻撃(口撃)することでしか自身の存在感を示せないんだな
と思ってしまいます。
少なくとも、私にはそう感じられるのです。
さらにネット上では、そんな書きこみから不毛な言い争いに発展することもありますが、
互いにエキサイトして相手を「論破」しようと熱くなるのを冷めた目で見てる人も多いはず。
「言い負かしてやろう!」と躍起になればなるほど理性を失いますから、
仮に相手を言い負かしても、感情を抑えられなかった自分自身にも負けた結果となるんですね。
以上から、
いくら「正義」「正論」であっても、
言わない方が理性だ
という場面があることも、みなさんには知って欲しいのです。
まとめ
私たちが学校で勉強する目的のひとつに、
論理的思考力を身に付けることが挙げられます。
論理的思考(ロジカルシンキング)とは、
複雑なことに筋道を立て、シンプルに整理する思考法
のこと。
そしてこれを簡潔明瞭に人に伝える能力をも含む語です。
私たちは何事も感情論や先入観だけで思考せず、
論点に筋道と因果関係があり、広い視野で物事を考えることができる能力を涵養するために、毎日勉強しているんですね。
これは今後大人になるみなさんには必要不可欠な力です。
しかし一方で、ロジハラという語があるように、
「論理」が「嫌がらせ」になることもあり、区別や境目が難しいものです。
その差を明確に言い表したのが先に紹介したX(=旧Twitter)のやりとりにあります。
それは、
「でも君の言葉は”正しい”だけなんだよ。正論を言うだけなら小学生でも出来る。いいか?その言葉が正しいのか正しくないのかの前に、 『その言葉が相手にどういう影響を与えるのか?』 って事を考えられる奴が大人なんだよ。子供との違いはソコ。君は子供と同じ。」
の部分。これは、
論理的思考だけではダメだということで、
その上に「相手の立場に立った配慮や想像力」が必要だということなんですね。
ま、こう諭した上司も、後半は熱く感情的になってしまいましたけどね…(-_-;)
そして学校はそんな意味で、この2つ
(論理的思考力/相手の立場に立った配慮や想像力)
をバランスよく学べる所です。
人生100年時代ともいわれる今日、
その中で学校に所属する時間はわずか10数年ですし、
みなさんは既にその後半戦を生きています。
この先に待つ長い長い人生を、より有意義に過ごすための「土台」を形成する今の高校生活を、有意義に過ごしてほしいと祈るばかりです。
そのためには、今日書いたようなことも考えてほしいと思って記事を執筆しました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではでは、、、また次回、、、
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