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今日のテーマは【知識】と【教養】
よく似た言葉ですが、その意味は大きく違います。
辞書によると、
【知識】
引用元:goo辞書
①知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。「日々新しい―を得る」「―をひけらかす」「予備―」
②考える働き。知恵。
【教養】
引用元:goo辞書
①教え育てること。
②学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
③社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い―のある人」「―が深い」「―を積む」「一般―」
…とあり、なんとな~くニュアンスの違いはわかりそうですね。
みなさんの中には、卒業後大学に進学する人も多いと思いますが、
大学には≪総合(または普遍)教育(科目)≫と呼ばれる教養課程があります。
これは学問を深く狭く追究する≪専門課程≫とは別に、
浅く広く追究する課程のこと。
私自身は、一般教養科目、外国語、体育、情報処理などを受講しました。
大抵は入学後の1~2年は専門より教養の授業を多く履修しますが、これは、大学は専門とともに、教養を深めるところだ、ということになります。
今日の記事は、【知識】と【教養】の違いや、その重要性。
さらに人が人として生きるのに必要な、幅広い知識と深い教養が必要な理由を考察し、
わたしたちが「なぜ勉強し、何を目指すのか?」ということをご一緒に考えましょう。
最後まで読んでいただけるとうれしいです。
知識
知識とは
「知識」は、我々が生きる上で必要なアイテム。
言葉や文字の習得に始まり、九九を覚えたり、社会の約束事や自然科学の知識等は、生きるのに不可欠なこと。
料理に例えれば、鍋や包丁などがこれにあたります。
みなさんも過去に九九やら漢字やらを詰め込み、英単語を無理やり覚えた記憶があるはず。
…ですが、
知識はいくら貯め込んでも、それだけで生きていけるわけではありません。
これはどういう意味かというと、
鍋や包丁だけで料理は作れない
ということと同じなんですね。
料理を作るには、鍋や包丁以外にも、食材や調味料、さらに火や水が必要です。
しかしそのすべてが揃っても料理にはなりません。
それは、これらすべてが「知識」に類するものだからです。
そしてこれを今の高校生に例えるとどうなるでしょうか?
高校では今も「漢字テスト」や「英語の小テスト」があるはずで、そのためのワークブックなんかを持っているはず。
しかし、
「こんなの必要?」
と思う難しい漢字や英単語を覚えるのはなかなか気乗りがしませんね(;’∀’)
これは、食材や調理法を頭に詰め込むだけの調理実習と同じで、おもしろくないのです。
一方で、
「漢字や英単語なんて知らなくても生きていけるよ」
と考える人もいるでしょう。
もちろん漢字や英単語だけを知っても、それで生活できるわけじゃありません。
…が、
漢字や英単語を知らなければ、
食材や調理器具がなければ、
その先どこにも進めなくなるのはご理解いただけるはずです。
また知らないことで困ることはあっても、知っていて困ることはありません。
無知は大損
さらに過去記事にも書いたように、
「無知」が原因で、恥をかくばかりか、知らないうちに「他人を傷つける」ことだってあるんですね。
そして大人になったら、
「知らなかった」
では済まされない場面がたくさん出てくるのです。
知識失くして教養は得られません。
しかし知識だけでは生きていけないのが、いまみなさんの住む社会です。
…と偉そうに言う私自身だって、いつの頃からかアイドルの顔や名前がわからなくなりました(;’∀’)
てか、関心がなくなったのでわからなくなった、というのが実情です。
興味もなくて知識もないもんだから、生徒の会話について行けないんですね、、、
数年前、KAT-TUNを「かつーん」って言ったら、生徒から大爆笑されました(;’∀’)
さらに昔、二宮和也を「かずや」と読んだら、真顔で「ムッ!(ーー;)」とされ、
「か・ず・な・り!!」
と強く訂正されたんですが、
「無知」というのは時に、
バカにされたり怒りを生んだり…という現象まで引き起こすんですね(;’∀’)
教養
教養とは
一方で「教養」とは、
たくさんの知識によって育まれた「人格」や「心の豊かさ」のこと
例をあげると、
戦争の悲惨さ
は知っていても、
それは「知識」なわけで、
そこから、
自分はどう生きるべきか
とか
どんな世界が理想的か
を自分の頭で考え、自分の言葉で発信(表現)できること。
これがまさに「教養」です。
しかし、
ただ戦争の悲惨さだけを盾に、
戦争反対!
核兵器廃絶!
などとと唱えても、そんなことは誰でも言えるわけで、
これを「教養」とは言いません。
戦争が反対なら、
なぜ反対なのか?
どうすれば戦争をしなくて済むのか?
それでもなぜ今も戦争や紛争が絶えないのか?
…ということに自分なりの考えや主張を展開した上に、反対意見や代替案を主張する人になりたいものですね。
そしてこれを語るには、今まで以上に幅広く深い知識とともに「思考力」が必要だ、ということは察しがつくのではないでしょうか?
さらに私たちには、戦争に限らず、自分の「考え」や「生き方」を試される機会がたくさんあります。
まもなく「選挙権」を得る高校生のみなさんは、投票時に何を問題視し、何を期待して投票するでしょうか。
最近の円安や物価高は、何が原因で、これをどう解決するのが理想か?
…なんて問いに、自分なりの答えを出す訓練をしてみませんか?
この能力を「論理的思考力」といいます。
こういう訓練が入試での小論文対策等にもプラスになるはずだし、如いては「生きる力」を涵養することにも直結するはずです。
教養を深めるには
教養を深めるには何より、
探究心
と
読書の時間
と
問題意識(疑問)
を持つことに尽きると思います。
探究心は「知らないことやできないことを、わかる(できる)ようになりたい」と思う心です。
これは「自分はできる」と自身を肯定することで生じる感情です。
「どうせ自分にはできない」と思ってたら、わかることもできることも実現しません。
自分を信じる心=自己肯定感
を高めるために自分の長所を認め、周囲を注意深く観察する習慣をつけましょう。
また「読書」は教養を深めるのに必要不可欠です。
読書することで「知識」が豊富になるし、自分にはない「経験」や「モノの見方」「思考法」を垣間見ることができますね。
そんな「他人の脳みそ」を覗く活動が読書です。
読書は知見を広め、そこから自身の考えや生き方を見つめる大切な活動なのです。
そして最後は「問題意識(疑問)」を持つことです。
みなさんの周りにも、
なぜ勉強するの?
なぜ部活するの?
なぜ校則があるの?
(突き詰めれば)
なぜ生きているの?
…
という問題が山のように出てくるはずです。
それを、
「こういう仕組みだから」
「私が考えてもどうせ変わらないから」
「親が産んだから」
…と思考停止してしまったら、それ以上の発展も成長も期待できません。
問題意識を持つとともに「何故だろう?」と探究し、多くの知見からこれを考察して、自分なりの「生き方」を見つけていく姿勢を忘れなければ、あなたの「教養」は少しずつ深まっていくことでしょう。
まとめ_「教養」は「よりよく生きる」ために身に付けるもの
私が教養を身に付けるメリットと考えるのは、
選択肢を増やす
ことと
誰かに騙されない人生を歩むため
だと考えています。
「選択肢」は、高校生なら「進路」が最重要ですが、大人になればこれが「仕事」や「付き合う人」にも及びます。
幅広いジャンルの人と円滑な人間関係を築くのは、深い教養に裏打ちされたコミュニケーションが必要ですし、「運は人が運んでくる」ともいわれます。
「この人と交流したい」
と思われるには、そんなコミュニケーションが不可欠ですし、
多くの選択肢から、自分の進みたい道やお付き合いする人を選ぶこともできるので、そのメリットは絶大です。
もう一点は、騙されない人生を送ること。
これは、知識や教養がないと「ウソを見抜けない」からです。
さらに「疑問」を持たないと、無条件に情報を信じてしまうので、時には騙されてることにさえ気付かないまま損をしている時だってあるのですよ。
最近テレビ等で「エビデンス(evidence)」という語をよく耳にします。
これは「証拠」とか「根拠」という意味で、
「ちゃんとした根拠に基づいている」
「合理的な裏付けがある」
といった意味合いがあります、
これと対を成す言い方には、
「勘」「好み」「憶測」「思いつき」「迷信」「主観に基づく判断」「経験則」
といった語が挙げられます。(参考:Weblio辞書より)
もちろん勘や経験則を全面否定するつもりはありませんが、
ちゃんとしたエビデンスに基づいた説明ほどウソが少なく、信用できるのもまた事実ですね。
先述の内容では、単に
戦争反対
でなく、
なぜ反対なのか?
さらに、
戦争を無くすにはどうすればよいか?
という点にエビデンスに基づいた自論を展開することが、
あなたの「教養」の深さになり、より説得力ある主張が「信頼」となって、
如いてはそれが「よりよい生き方」になることを理解してください。
そして学校の「勉強」は、そんな力を付けるための「根っこ」になる部分として、知識を詰め込むようなところもあっておもしろくないんですが、よりよく生きるために必要なところだ、とも理解してほしいです。
今回も説教臭い内容になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではでは、、、また次回、、、
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